【山城国淀稲葉家文書】
識別記号 ac1972301
資料記号 2017C
標題 山城国淀稲葉家文書
年代 1223年~1870年
主年代 江戸後
年代注記 1223(貞応2)年-1870(明治3)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 3m/523点
物的状態注記 523点
出所・作成 稲葉家
履歴 稲葉氏の本姓は越智姓で、河野氏支流と伝えられる。当稲葉家の初代は正成で、1607(慶長12)年美濃郡羽栗郡の内にて9000石、同国十七条にて1000石を得たのに始まる。正成の妻福(春日局)が三代将軍家光の乳母となったことにより、子の正勝も家光側近として取り立てられ、1632(寛永9)年に相模国小田原城主8万5000石の大名となった。以後、正則、正通、正知、正任、正恒、正親、正益、正弘、正〓(言偏に甚)、正備、正発、正守、正誼、正邦と続き、代々老中職を歴任した。稲葉正邦(1834−1898年)は、はじめ長門守、のち美濃守を称し、1863(文久3)年6月から翌年まで京都所司代を勤めた後、老中に昇進し、1867(慶応3)年には徳川慶喜のもとで幕政改革に活躍し、国内事務総裁を兼任した。1869(明治2)年淀藩知事となったが、1871年廃藩を迎えた。
(関係地)1.相模国足柄下郡小田原‐神奈川県小田原市[現在]|2.越後国頚城郡高田‐新潟県上越市高田[現在]|3.下総国印旛郡佐倉‐千葉県佐倉市[現在]|4.山城国久世郡淀‐京都府京都市伏見区淀[現在]
(主題)大名;老中‐京都所司代
(役職等)大名;老中‐京都所司代
伝来 稲葉家の菩提寺である麟勝院(京都府京都市右京区)に保管されていたものを、1972年度に原蔵者から寄託。 追記:2017年度寄贈。
入手源 原蔵者から寄贈。
範囲と内容 (1)本文書群は、稲葉正邦の老中在職中の1866(慶応2)年から翌年にかけての中央政局史料が中心である(史料番号2‐343)。その多くは史籍協会本『淀稲葉家文書』に翻刻され、原本に該当する書付型文書がほぼ完全な形で残っている。ただし、関連する約80点近くの未収史料がある(鎌田永吉「続維新政治史関係史料ノート・史籍協会刊『淀稲葉家文書』未収集史料仮目録」『史料館報』19号、1973年参照)。(2)『淀稲葉家文書』の稿本と推測される「正邦公閣老在職中秘書類写」5冊(史料番号1)がある。(3)春日局関係の文書が若干ある。内容は、春日局の自筆辞世和歌、後水尾院、徳川家光書状、東門院などの和歌色紙など。(4)1223(貞応2)年以降の鎌倉・室町期の河内家文書の写10点(「河野家江被下御教書并古筆」2巻)。(5)由緒書1点・系譜2点。越智氏の由緒書(仮番号346)の箱書には「稲葉家系図 四巻」とあるが、伝存しない。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 寄託史料目録およびカード目録
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 小田原市立図書館に寄託されている稲葉日記がある。
出版物 『淀稲葉家文書』(史籍協会、1926年)に一部翻刻されている。『史料館報』17号(1972年11月)参照。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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