【武蔵国江戸久松家文書2】
識別記号 ac1974301
資料記号 寄託
標題 武蔵国江戸久松家文書2
年代 1651年~1908年
主年代 江戸後
年代注記 1651(慶安4)年-1908(明治41)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 4m/337点
物的状態注記 337点
出所・作成 久松家
履歴 久松家は、1624(寛永元)年大垣城主久松忠良の死後、庶子の采女忠節が信濃国佐久郡小縣郡の内5000石を分知されて寄合に列した。以後、半左衛門忠勝、采女正忠盈、市正忠庸、主膳忠幸、求馬(のち、但馬守)忠侃、采女忠愛、栄之助忠武(のち、愛行)と続き、代々火消役、百人組頭、小姓組頭などの役につくことが多かった。特に、6代忠侃は1804(文化元)年に家督を継いで以後、駿府加番、中奥小姓を勤め、1812(同9)年諸大夫、但馬守に任じられ、1821(文政4)年より百人組頭、1824(同7)年より小姓組番頭、1826(同9)年より西丸書院番頭、1828(同11)年より書院番頭、1831(天保2)年より大番頭を歴任した(仮番号62)。明治維新後は栄之助が家禄現米150石を与えられ、板倉小次郎觸下士族となり、さらに東京府貫属士族となって大蔵省に出仕したが、1875(明治8)年栄之助は弟土之助に家督を譲った(仮番号74)。愛行(栄之助)は、1877年に東京府第五大区二小区公立学校世話掛りに任命され、1894年以降は長野県下で神道を修業し、1907年には神苑会長野県小県郡委員補に任命されている。
(関係地)1.武蔵国江戸湯島天神下‐東京府第四大区小五区湯島三組町‐東京都文京区湯島[現在]|2.長野県小県郡禰津村‐長野県小県郡東部町禰津[現在]
(主題)旗本|火消役|小姓組頭|神職
(役職等)旗本|火消役|小姓組頭|神職
伝来 1974年度に原蔵者より寄託。
入手源 原蔵者
範囲と内容 本文書群はおもに(1)久松家の家史料、(2)幕府の役職に関わる史料、(3)明治維新後の旧地旧禄関係史料、(4)明治期の久松愛行の史料がある。 (1)は、a,系譜・先祖書、b,位記・口宣案(忠庸、忠侃)、c,知行所人数帳・人別改帳・村付帳、d,武芸免許状・兵法関係写本(日置流・新陰流)、e,家中支配、特に、忠侃晩年の1837(天保8)年前後における家政取締に関する書状案(仮番号30)は、断片的ながら上級旗本の実態がわかる。 (2)は、a,寄合成りの書付や役成りの誓詞、b,役儀関係の諸書類、礼式や役向の勤方についての書付、覚書、手留、書抜の類が圧倒的に多い。形態は小形の折本に仕立てられ、席図などの絵図を含む。 (3)は、維新後の旧知旧禄関係史料で、1870(明治3)から翌年にかけて、久松家の元家来が旧禄を離れて帰農・帰商していく過程を示す一連の史料として、「現石高仕訳書上」「帰農商送籍一札案」「扶助金請取手形」などがある。 (4)久松愛行の明治期の活動を伝える文書群がある。特に長野県下での神職関係史料がある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 寄託史料目録またはカード目録
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 原蔵者保管史料があり、「江戸久松家文書」(F7406)として当館でマイクロ収集した。
出版物
注記 これまでの文書群名は「信濃国禰津久松家文書」。『史料館報』22号(1975年3月)
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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