識別記号 | ac1977301 |
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資料記号 | 寄託 |
標題 | 信濃国佐久郡下海瀬村相馬家文書 |
年代 | 1610年~1913年 |
主年代 | 江戸 |
年代注記 | 1610(慶長15)年-1913(大正2)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 10m/2532点 |
物的状態注記 | 2532点 |
出所・作成 | 相馬家 |
履歴 | 下海瀬村は八月朔日交代の年番名主制をとっており、相馬家はその年番名主を代々勤めた。由緒書や系図等が伝存していないため詳細は不明だが、伝存する田畑売渡証文で最も古い1661(万治4)年の宛所は四郎右衛門であり(仮番号725)、以後は四郎右衛門と半兵衛宛のものが続いている。1676(延宝4)年検地の際の案内名主には、四郎右衛門・甚兵衛・長左衛門・善左衛門の名があり、四郎右衛門が相馬家の初代当主ではないかと推測するが、後考をまちたい。貞享・元禄期には半兵衛、正徳期には藤右衛門、享保から1748(寛延元)年にかけて半兵衛、1749(寛延2)年から武太夫、1756(宝暦6)年から専助、1781(天明元)年から善三郎、文政期に藤右衛門、天保期から安政まで武太夫、以降は右馬之助の名がみえる。右馬之助(将一)は1873(明治6)年から戸長、1879年からは南佐久郡書記を兼任した。 (関係地)信濃国佐久郡下海瀬村‐長野県第二大区小四区‐長野県南佐久郡海瀬村‐長野県南佐久郡佐久町海瀬[現在] (主題)名主‐戸長・郡書記 (役職等)名主‐戸長・郡書記 |
伝来 | 1977年度に原蔵者より寄託。 |
入手源 | 原蔵者 |
範囲と内容 | (1)江戸期全般にわたる名主文書(約1500点)。1610(慶長15)年の「貫取高帳古帳書改置」(写、仮番号429)をはじめとして、1676(延宝4)年の水帳・名寄帳の土地台帳、年貢割賦帳・年貢請取帳・納印形帳・小物成帳などの年貢関係文書、小前書上帳、野堅帳、村入用帳、夫銭取立帳、伝馬・人足帳、普請入用帳、五人組帳・宗門改帳、諸願届、村明細帳、役用日誌、御用留、廻状写、などがある。また、頼母子講文書が若干ある。 (2)明治期の戸長(村)役場文書(約500点)。明治初年度の布告記・布達類、租税請取帳、明治30年代の村役場財政関係書類、諸願・諸届、入籍簿、諸下書帳など。大正期のものは僅少である。 (3)相馬家の私文書(約500点)。江戸期の証文類、香典帳、万通帳、明治期の相馬将一宛辞令、書状などが多く残っている。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | 寄託史料目録またはカード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | 下海瀬村年番名主の一人である「信濃国佐久郡下海瀬村土屋家文書」(当館所蔵、25A)および「長野県佐久郡旧海瀬村引継文書」(佐久町役場所蔵、当館マイクロ収集、F7405 F7501)がある。 |
出版物 | |
注記 | 原蔵者の父故内藤善七氏が内藤姓のまま夫人の生家相馬家を継いだため、かつては内藤家文書と呼ばれていた。『近世庶民史料所在目録』第3輯、149頁の内藤善七氏所蔵文書は、本文書群のことである。『史料館報』28号(1978年3月) 1752(宝暦2)年の宗門改帳(仮番号431)によれば、相馬家の旦那寺は余地村曹洞宗自成寺で、当主武太夫(49才)は17石1斗8升3合の高持であり、家族構成は妻(44才)、子専助(16才)、子佐吉(14才)、子和助(8才)、娘いく(1才)、奉公人男2人、同女1人の計9人で、武太夫抱百姓が26家ほど記載されている。 1762(宝暦12)年の宗門改帳(仮番号336)では、専助(26才)、女房(22才)、娘れん(4才)、子三蔵(2才)の4人構成で持馬1疋とあり、弟二人は他村の名跡を継いで別家し、専助抱百姓は22家に減っている。 1825(文政8)年では、藤右衛門(36才)、女房みね(33才)、父善三郎(65才)、母なみ(60才)、忰武吉(13才)、同辰五郎(5才)、奉公人1人の7人構成で、家1軒、馬1疋、藤右衛門抱百姓は11家である。1853(嘉永6)年には武太夫(42才)、女房みな(41才)、忰逸作(17才)、忰熊吉(11才)、娘とら(15才)、娘とく(6才)、娘りん(2才)、家1軒、牛馬は所持せず、武太夫抱百姓は5家であった(仮番号434)。 1867(慶応3)年では、右馬之助(31才)は高7石4斗1升8合で、女房きさ(30才)、父武太夫(56才)、母みな(55才)、弟善二郎(25才)、女房ふで(23才)、妹りむ(15才)、弟廣司(14才)、娘花よ(10才)、忰保三(8才)、同虎祐(4才)、姪きつし(2才)、厄介右三郎(24才)の計13人で、家1軒、馬1疋、右馬之助抱百姓は4家である(仮番号435)。 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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