識別記号 | ac1977302 |
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資料記号 | 寄託 |
標題 | 岡谷繁実文書2 |
年代 | 1588年~1914年 |
主年代 | ― |
年代注記 | 1588(天正16)年-1914(大正3)年、中心となるのは1852(嘉永5)年以降の文書である。 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 6m/529点 |
物的状態注記 | 529点。 |
出所・作成 | 岡谷繁実 |
履歴 | 岡谷繁実(1835−1919年)は、山形藩秋元家の家臣(300石)の家に生まれた。秋元家は1845(弘化2)年に上野国館林へ転封となり、岡谷家も同地へ移った。繁実は江戸の昌平黌に学んだ後、攘夷論を唱えて上京し、勅使東下の運動に参加するなど、尊皇攘夷運動に身を投じた。1869(明治2)年2月新政府の行政官出仕に登用され、民部官出仕に転じた後、岩代国巡察使附属や若松県・水沢県などの地方官を歴任した。1874年内務省七等出仕、1876年内務少丞に昇進し、1878年には修史館御用掛となった。晩年、1901年に鎌倉宮宮司、翌年氷川神社宮司になった。その一方で、繁実は秋元家家史編纂事業にも携わり、また史談会の創設に際して1892(明治25)年に幹事になるなど、幕末・明治期の諸記録の収集に活躍した。 (関係地)1.出羽国村山郡山形‐山形県山形市[現在]|2.上野国邑楽郡館林‐群馬県館林市[現在]|3.東京府豊島郡角筈村‐東京都新宿区角筈・新宿[現在] (主題)修史館御用掛;藩士 (役職等)修史館御用掛;藩士 |
伝来 | 1869年度、1973年度に原蔵者の所蔵文書をマイクロ収集していたが、1977年度に原蔵者より当館に寄託された。さらに、1980年度に約40件の史料の追加寄託を受けた。 |
入手源 | 原蔵者より寄託。 |
範囲と内容 | (1)岡谷繁実に関する史料として、幕末維新期の繁実の動向を中心とする往復文書を収めた「岡谷文書」1-8、自筆稿本「繁実日記」(全5冊)、繁実自筆の「水沢県巡廻日誌」、「通志」およびこれに端を発して東京帝国大学と争った「著作権違反被告事件」(裁判記録、全4冊、1902-1985年)、西南戦争の実録・見聞記事を主とする明治10年代の重要事件に関する史料を収めた岡谷繁実の自筆稿本「岡谷繁実聞書」10冊、「征西史料」1-20がある。他に、「岡谷繁実年譜」「寒香園記」などがある。(2)岡谷家伝存史料としては、中世末に武蔵国深谷辺で勢力を有していたことを窺わせる上杉謙信書状や氏邦の文書をはじめ、「岡谷家譜」および家譜編纂のための史料がある。芸能関係では、兵学書、蹴鞠免状、書画などがある。また、近世初頭の信繁の代に秋元家に仕えて以後、その封地に従って転任する間に得た藩主書状や秋元家に関する記録も伝存している。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | 寄託史料目録 |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | 当館にてマイクロフィルムを所蔵 |
関連資料 | ― |
出版物 | 『史料館報』10号(1970年3月)、20号(1974年3月)、28号(1978年3月)に概要が記されている。原島陽一・松尾正人「岡谷文書−幕末明治書翰類−」(1)(2)」(『史料館研究紀要』24・25号、1993年・1994年)。 |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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