【陸奥国仙台小野家文書】
識別記号 ac1978202
資料記号 F7802
標題 陸奥国仙台小野家文書
年代 1573年~1909年
主年代
年代注記 1570年代(天正期)-1900年代(明治期)
記述レベル fonds
書架延長/数量 /10点
物的状態注記 マイクロフィルム;10リール 5409コマ 44冊 340点
出所・作成 小野家
履歴 小野家は、成清の代、1652(承応元)年に伊達家に仕え、仙台藩士(平士の家格、禄高550石)として明治維新に至っている。当初は猿楽師として、後には監察などを勤めたが、とくに進太夫成祐(1807−1861)の代には監察のほか武頭を勤め、またその次子庄五郎(荘五郎とも書く)成之(1841−1907)は、戊辰戦争後、ロシア正教会(ハリストス正教会)司祭ニコライから洗礼を受け、宮城県地方の布教に当たった。のち正教会の司祭となり、鹿児島・大阪・名古屋・京都などで布教に努める。 庄五郎は、キリスト教の布教とともに民衆の啓蒙と新知識・新思想の普及を志し、仙台で『講習餘誌』を発行し「開智修徳」に努めた。また、雑誌の発行とともに演説会の開催を企て、宮城県の自由民権運動にも参加した。 進太夫・庄五郎とも、剣槍銃馬や軍学を修めたほか和漢の詩歌に親しんだ。また庄五郎は茶道、生花、礼法、さらに書画・陶器の鑑識にも関心が深かったようである。
(関係地)1.陸奥国宮城郡仙台‐宮城県宮城郡仙台区‐仙台市[現在]|2.鹿児島県鹿児島市[現在]|3.大阪府大阪市[現在]|4.愛知県名古屋市[現在]|5.京都府京都市[現在]
(主題)藩士|監察‐武頭|司祭
(役職等)藩士|監察‐武頭|司祭
伝来 釘宮廉子氏。この文書群は、小野庄五郎の嫡男求太郎の夫人釘宮廉子氏に伝えられていたもので、1972年・1973年の両度にわたり当館に寄託されていたが、1978年8月31日付で寄託解除となり、1979年4月1日付で仙台市博物館に寄贈された。当館では原蔵者へ返却するに先立って、著作物を除きマイクロフィルム撮影を行った。
入手源 釘宮廉子氏(寄託解除時)
範囲と内容 進太夫・庄五郎関係にかかる仙台藩及び小野家の関連でうみだされたもの、庄五郎にかかるハリストス正教会関連のものに二大別されるが、次のごとく庄五郎に関するものが全体の8割を占めている。 (1)仙台藩・小野家にかかるもののうち、a,監察(目付)・番組関係では「御記録御書上」「監察史控書抜」「江戸番組頭方身分付首尾向」「御目付方当用記」ほか、b,家伝関係では「小野家系譜」、小野荘五郎墓誌拓本ほか、c,武術・軍学関係では「海岸方四之手練兵方手扣」「鶴翼御相図録」「不易流銃筒尺寸之巻」「銃術秘伝」「小笠原流軍礼馬法礼弓礼躾方伝授頭書帳」「渋谷流剣術目録」ほか、d,伊達家などの関係では、「伊達族譜」「政宗公御軍記」「上杉家年譜」ほか、e,書状では冬姫書状、伊達綱宗書状、小野進太夫書状ほかがある。 (2)ハリストス正教会にかかるもののうち、a,正教会教理・経営・布教関係では、「記尼〓(しんにょうに舌)(ニコライ)問答」「学校出納覚」「公会雑費覚」「講習餘誌」ほか、b,日記類では「日記」「備忘録」、c,書状は高尾仲、笹川定吉、ニコライ、新井奥邃などからのもの、d,写真ではニコライ、影田孫一郎のものがある。 (3)詩文・芸能関連のうち、a,詩稿では「蕪藁」「丁酉詩稿」ほか、b,書画・陶器関係では「全国陶器窯調」がある。 なお、この文書群については、佐藤憲一「伊達家家中「小野家文書」について」『仙台市博物館年報』第7号(1980年)の解説がある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 マイクロ収集史料目録
原本の所在 仙台市博物館
利用可能な代替方式
関連資料
出版物 『史料館報』18、19、29号、佐藤憲一「伊達家家中「小野家文書」について」『仙台市博物館年報』第7号(1980年)を参照のこと。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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