識別記号 | ac1983202 |
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資料記号 | F8302 |
標題 | 摂津国住吉郡平野郷町杭全神社保管文書 |
年代 | 1704年~1868年 |
主年代 | 江戸 |
年代注記 | 1704(宝永元)年-1868(慶応4)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | /81点 |
物的状態注記 | マイクロフィルム;81リール 5万2502コマ 368冊 599点 |
出所・作成 | 平野郷町杭全神社 |
履歴 | 平野郷町は本郷が野堂町・流町・市町・背戸口町・西脇町・泥堂町・馬場町の7町、散郷が新在家・今林・今在家・中野の4村からなっていた。本郷の各町に会所を置き、2、3人の年寄、町代1人、下役1、2人を置いた。散郷では各村に村年寄3、4人、下役1人を置いた。これらの町会所と散郷を統轄するために野堂町に惣会所があり、総年寄5人、その下に庄屋2人・総代1人・使役3人などの役人がいた。平野郷町は綿の生産と流通の結節点として繁栄した在郷町である。撮影史料の主流を占める「覚帳」は、平野郷町全体に及ぶ記録であることから、惣会所に伝来されたものと推定される。 なお、本文書は宮町に鎮座する杭全神社で保管しているが、その理由は同社は近世の平野郷町の産土神で、祇園社(牛頭天王)・熊野権現社・平野郷社などと称され、平野郷町の惣年寄が神主代を勤めていたことに起因していると思われる。1870(明治3)年に杭全神社と改称した。 (関係地)摂津国住吉郡平野郷町‐大阪府大阪市平野区平野本町[現在] (主題)― (役職等)― |
伝来 | 杭全神社(大阪市史編集所撮影フィルムからの複製) |
入手源 | 大阪市史編集所撮影フィルムからの複製 |
範囲と内容 | 中心を占めるのは、1704(宝永元)年より1865(慶応元)年に至る「覚帳」119冊(うち1757年・宝暦7年は虫損甚しく撮影不能)である。これは平野郷町全体に関する町政記録で、各町村の家数・竈数・寺・男女人数等や前年の年貢算用立や勘定目録の記載もある。また、この地方は繰綿の一大産地であることから、問屋や市に関する記録も含まれる。他に、1713(正徳3)年より1757(宝暦7)年に至る「平野郷町勘定書替」41冊、1804(文化元)年より1868(慶応4)年に至る「背戸口町五人組改帳」56冊、1805(文化2)年より1867(慶応3)年に至る「背戸口町宗門改帳」(各宗派別計120冊、「背戸口町増減改帳」46冊、「背戸口町宗門請一札帳」22冊、泥堂・市町分若干含む)、1871(明治4)年の印旛県管轄第一区戸籍控、その他数冊である。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | 利用者はその利用成果(論文抜刷など)を必ず所蔵者に提供すること(大阪市平野区平野宮町2‐1‐67 杭全神社)。 |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | マイクロ収集史料目録 |
原本の所在 | 杭全神社 |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | ― |
出版物 | ― |
注記 | 文書群名は摂津国住吉郡平野郷町惣会所文書とすべきであるが、紙焼本背文字に下記のようにあるため従来の摂津国住吉郡平野郷町杭全神社保管文書のままとした。 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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