識別記号 | ac1987202 |
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資料記号 | F8702 F8802 |
標題 | 但馬国出石仙石家文書 |
年代 | 1815年~1877年 |
主年代 | 江戸後 |
年代注記 | 1815(文化12)年-1877(明治10)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | /66点 |
物的状態注記 | マイクロフィルム;66リール 3万5820コマ 239冊 527点 |
出所・作成 | 仙石家 |
履歴 | 仙石権兵衛(のち越前守)秀久は織田信長についで豊臣秀吉に仕えて武功をあらわし、讃岐国高松城10万石の城主に封じられたが、九州進攻の時に秀吉の勘気に触れて領知を没収され、高野山に謹慎する。その後起こった小田原進攻に、秀吉に無断で従軍し、めざましい活躍を遂げて秀吉の勘気を解き、信濃国小諸に5万石を与えられた。大坂の陣後、1622(元和8)年に仙石忠政は1万石加恩され、6万石余をもって信濃国上田に入封、1706(宝永3)年、仙石政明の時に出石に移封となり、以後廃藩置県時までこの地にあった。仙石家の知行高は、出石移封時は5万8000石であったが、1835(天保6)年に仙石騒動の故をもって3万石に減知となっている。 (関係地)但馬国出石郡出石‐出石県出石‐豊岡県出石‐兵庫県出石郡出石町[現在] (主題)大名 (役職等)大名 |
伝来 | 出石町立史料館(兵庫県出石郡出石町) |
入手源 | 出石町立史料館 |
範囲と内容 | 出石藩主の仙石家には膨大な量の藩日記が残存している。藩主在邑の時には「御在城日記」、参勤在府の時には「御留守日記」という表題をもっており、月毎に月番の年寄または中老が記述の責任者として表紙に名前を記している。これらの「日記」が1815(文化12)年正月から1869(明治2)年まで664冊ある。これらはもと、仙石氏の世系を祀る感応殿の神社に収蔵され、旧藩士の人々の手で保存されてきたものであるが、現在は出石町立史料館に収蔵されている。撮影したのは、前記「日記」の内、1815(文化12)年正月から1856(安政3)年12月までの515冊(嘉永期以降のものは虫損が甚だしく、撮影困難のため除外)、その他は「改撰仙石家譜」(9冊)、「士族人別帳」(3冊)などである。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | マイクロ収集史料目録 |
原本の所在 | 出石町立史料館(兵庫県出石郡出石町) |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | 仙石家文書は、宮内庁書陵部(仙石家本)、国立公文書館内閣文庫(仙石政固旧蔵本)に所蔵されている(詳細は学習院大学史料館編『旧華族家史料所在調査報告書』本編2、家番号492、1993年を参照)。 |
出版物 | 「改撰仙石家譜」は、政明公以降抄録のかたちで『出石町史』第3巻資料編I(1987年)、『兵庫県史』史料編近世1(1989年)に掲載されている。「日記」については、『出石町史』第3巻資料編I・II(1987・1993年)に、仙石氏「御用部屋日記」として、定例行事、藩法・制度、財政・経済政策など記述内容をいくつかの項目に分けて掲載(抄録)されている(各項目内は編年順)。同様に『兵庫県史』史料編近世2(1990年)にも掲載されている。なお、『史料館報』50号参照。 |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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