識別記号 | ac1993001 |
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資料記号 | 1993A |
標題 | 武蔵国江戸蜷川家文書||NINAGAWA family papers and collections of Edo, the province of Musashi |
年代 | 1192年~1922年 |
主年代 | 江戸 |
年代注記 | 1192(建久3)年-1922(大正11)年 |
記述レベル | collection |
書架延長/数量 | 3m/387点 |
物的状態注記 | 387点;一部、活字史料あり。 |
出所・作成 | 蜷川家 |
履歴 | 蜷川家の系図・家伝によれば、蜷川氏は物部守屋の孫宮道氏より出て、蜷川親直を祖とし、越中国新川郡蜷川村を本拠とした。親直から7代親俊の弟親章が別家を立て、この家系が当蜷川家の流れとなったという。室町幕府の滅亡後、蜷川一族も離散したため、戦国期の動向など詳細は不明で、系図等も諸種伝来している。近世に入ると、蜷川家の中興の祖とされる親熈(親章から10代目)が幕府右筆に召し出され、1698(元禄11)年8月、下野国都賀郡の内に500石、1700年12月、同国都賀郡・安蘇郡の内に200石、都合700石を領した。翌年正月17日、親熈の死去により知行地は嫡子親英に500石、次男親和に200石が分地され、親和は分家を立て、以後蜷川家は親英系と親和系の2系統に分立した。当蜷川家は親英系で、親将、親贇、賢達、親宝、親義、親従、親敬(邦之助)と続き、幕末にいたった。 (関係地)1.武蔵国江戸半蔵御門外‐東京都千代田区[現在] 2.武蔵国江戸濱丁元矢ノ倉四ツ谷裏‐東京都新宿区四谷[現在] (主題)幕府右筆|旗本 (役職等)幕府右筆|旗本 |
伝来 | 1993年度に原蔵者より寄贈。 |
入手源 | 原蔵者 |
範囲と内容 | (1)蜷川家の家史料としては、1698(元禄11)年8月蜷川親熈が下野国都賀郡において500石を宛行れた際の領知目録、反別帳写をはじめ、「親類書・遠類書」(1860年・万延元年)、和歌集・手跡類がある。 (2)幕府右筆役に関わる史料としては、書札礼書、御内書案文、下馬札写などがある。 (3)中世文書の写として河内国観心寺文書および上野国山名八幡宮文書があるが、伝存の経緯などについては不詳である。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | 原本の中には史料の劣化が進んでいるものがあるため、修復を終えるまでは、マイクロフィルム(F7402)紙焼本(No1〜53)による閲覧をお願いしている。No54〜97は原本閲覧のみ可。ただし、No1〜53の原本閲覧が必要がある場合は、事前連絡のこと。EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。 |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | 全体的に紙継剥離・綴紐切れによる破損大。 |
検索手段 | 仮目録(1993年度) |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | 原蔵者が系図4点を保管している。「武蔵国江戸蜷川家文書」(マイクロ収集、本書No.440)では、系図4点も収集している。 |
出版物 | 『大日本古文書家わけ第6・観心寺文書』(1917年)『河内長野市史』第4巻、史料編1(1972年)『群馬県史』資料編6・7中世2・3(1984年・1986年) |
注記 | 『史料館報』22号(1975年3月)、『史料館報』60号(1994年3月) 大野瑞男「近世古文書学の課題」(『歴史評論』389、1982年9月) 小宮木代良「江戸幕府書札礼におけるいわゆる「下馬札」伝授について」(『東京大学史料編纂所研究紀要』3、1993年3月) 坂井誠一著『遍歴の武家−蜷川氏の歴史的研究−』(吉川弘文館、1963年) |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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