【鈴木荘六文書||SUZUKI,Soroku Papers】
識別記号 ac2003006
資料記号 2003F
標題 鈴木荘六文書||SUZUKI,Soroku Papers
年代 1883年~1943年
主年代
年代注記
記述レベル fonds
書架延長/数量 5m/945点
物的状態注記
出所・作成
履歴 鈴木荘六は慶応元年(1865)2月に商人鈴木高治の三男として新潟県三条に生まれた。明治14年(1881)4月に新潟県師範学校中等科入学、16年(1883)3月に卒業。18年(1885)12月に教導団入団。20年(1887年)9月に教導団を卒業後、砲兵二等軍曹となる。同年12月に士官候補生・騎兵第1大隊に入隊。21年(1888)11月に陸軍士官学校の第1期生として入学。23年(1890)7月に陸軍士官学校騎兵科を卒業。明治24年(1891)3月に騎兵少尉・騎兵第4大隊付となる。26年(1893)11月に騎兵中尉となり陸軍大学校入学。27年8月に騎兵第4大隊副官、翌28年(1895)4月から12月まで日清戦争に従軍。その間、11月に騎兵大尉・騎兵第4大隊中隊長。31年(1898)12月に陸軍大学校を次席で卒業、騎兵第11聯隊中隊長。32年(1899)12月に参謀本部出仕、33年(1900)3月に参謀本部員。33年7月から12月まで北清事変に従軍。同年12月に陸軍大学校教官。34(1901)年11月に騎兵少佐。37(1904)年3月に第2軍参謀、37年4月から39年1月まで日露戦争に従軍。その間、38年(1905)3月に騎兵中佐、同年9月に第2軍参謀副長。39年(1906)3月に陸軍大学校教官、41年(1908)1月に参謀本部員兼任、翌月に参謀本部員兼軍令部参謀。41年12月から43年12月まで参謀本部作戦課長。その間、42年(1909)2月から11月まで欧州出張、同年4月に騎兵大佐。43年(1910)12月に陸軍大学校幹事。大正3年(1914)8月に陸軍少将・騎兵第3旅団長。5年(1916)5月に騎兵実施学校長。7年(1918)7月に陸軍中将。8年(1919)3月に広島第5師団長となり、同年8月から9年(1920)9月までシベリア出兵に従軍。大正10年(1921)6月に大阪第4師団長。12年(1923)8月に台湾軍司令官。13年(1924)8月に陸軍大将・朝鮮軍司令官。15年3月から昭和5年2月まで参謀総長。参謀総長時代の昭和3年(1928)に張作霖爆殺事件が起きる。5年(1930)2月に後備役編入。6年(1931)7月から12年9月まで大日本武徳会会長。また、同年8月から12年(1937)2月まで帝国在郷軍人会会長。在郷軍人会会長時代には在郷軍人会の拡大を図り、天皇機関説問題にも積極的に関与する。また、7年(1932)7月から15年(1940)2月まで枢密顧問官。その間、12年(1937)4月に退役。15年2月東京にて死去。
(関係地)東京・朝鮮・満洲−中国東北[現在]・台湾・新潟県・シベリア
(役職等)満洲軍第二軍参謀副官・参謀本部作戦課長・陸軍大学校教官・騎兵第三旅団長・第五師団長・第四師団長・台湾軍司令官・朝鮮軍司令官・参謀総長・大日本武徳会会長・帝国在郷軍人会会長・枢密顧問官
伝来 鈴木荘六文書は鈴木の死後、戦時中に内藤久寛(長男重雄の妻比呂子の父)の邸内(新潟県柏崎)に疎開されていた。なお、一部文書は知人が保管。戦後は坂本貞枝氏(重雄長女)の婚家(坂本家:新宿区内藤町)にて保管されていた後、2001年に当館加藤聖文が調査を行い、2003年度に鈴木重徳氏(重雄長男)より寄贈を受けた。
入手源 遺族
範囲と内容 鈴木荘六文書は、鈴木荘六の陸軍時代および在郷軍人会時代が中心である。内容は(一)日記(作戦課長時代・旅団長時代・シベリア出兵時・欧州出張時代)と回顧録(荘六一代記)および陸軍および在郷軍人会時代の関連書類(業務文書・訓示・地図・写真・辞令など)、(二)書簡(妻竹子・息子重雄関係が多い)、(三)その他(掛軸・書画・軍装類など)から構成される。軍人時代の文書が中心であるが、なかでも日露戦争期の文書・地図・写真が多い。なお、文書群には妻竹子および長男重雄(陸軍中佐)関係の文書(書簡など)が混入している。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 日本語||Japanese,中国語||Chinese
物的特徴及び技術要件 文書類以外に写真・軸物・絵画(油絵)・軍装品・勲章・表札といったモノ資料が含まれる。文書の保存状態はそれほど悪くはないが、戦後、何度か移転を行っているあいだに原秩序はほとんど失われた。寄贈段階では、プラスチック製衣装ケースに保管され、辞令類や書簡などはある程度まとめられた状態にあった。また、調査当初は、自叙伝の活字版のみ存在し、その原本である「荘六一代記」は未発見であったが、その後、他の文書群と異なり、専用の木箱に収められて別の場所に保管されていたことが判明した。また、文書の一部(日露戦争関係の地図・張学良ら中国側要人からの手紙・言志録など)は戦後の一時期、知人の反町栄一氏に預けられていた。
検索手段
原本の所在 国文学研究資料館(歴史資料)
利用可能な代替方式
関連資料 当館所蔵「赤井春海文書」は、鈴木が朝鮮軍司令官時代の参謀長であった赤井春海の個人文書であり、赤井宛の鈴木書簡が含まれる。この他、鈴木の故郷である新潟県三条市の郷土資料館には、鈴木の書画が所蔵されている。
出版物 『陸軍大将鈴木荘六伝』(故鈴木荘六大将伝記編纂委員、1943年)
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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