識別記号 | ac1948006.01 |
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資料記号 | 23F-1 |
標題 | 三河国額田郡深溝村八田家文書 |
年代 | 1633年~1871年 |
主年代 | ― |
年代注記 | 1633(寛永10)年-1871(明治4)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 6m/690点 |
物的状態注記 | 690点(372冊、268通、5綴、35枚、10鋪) |
出所・作成 | 八田家 |
履歴 | 八田家は、初代長久の時、主家大内氏の衰微ののち深溝村に来住して八田氏を称したと伝えられる(代数は『史料館所蔵史料目録』21集による。以下同じ)。2代教綱は深溝藩松平忠定に仕え、1614(慶長19)年に板倉重昌が深溝村の領主となって以降は、3代本教、4代知教、5代昌吉が板倉氏に仕えた。昌吉時代の1639(寛永16)年、板倉重昌二男重直が三河・山城・下総の5000石を分知されて旗本となり深溝村に三河・山城国知行所5か村を支配するための陣屋を置くと、八田氏は深溝陣屋詰筆頭地役人として旗本板倉氏の知行所支配にあたることとなり、その後、代々その地位を維持して明治にいたるのである。八田氏の職名は最初「三州郡代」、のち「代官」と称している。なお八田氏は、正徳期ころまで板倉本家の知行所支配にも関わっている。また7代知氏は、1734(享保19)年に旗本石川氏の保久陣屋(額田郡保久村)詰代官を兼任している。 (関係地)三河国額田郡深溝村‐愛知県額田郡幸田町深溝[現在] (主題)旗本代官 (役職等)旗本代官 |
伝来 | 1935(昭和10)年前後に八田家の所蔵を離れたと推定され、その後、書店を経由して1948年度に徳川林政史研究所より購入。 |
入手源 | 徳川林政史研究所 |
範囲と内容 | 本文書群は、(1)深溝陣屋代官文書、(2)板倉本家知行所文書、(3)保久陣屋代官文書、(4)八田家家政文書、(5)板倉家文書、によって構成されると考えられる。 (1)は、八田家当主が寛永以降明治まで代々旗本板倉氏の深溝陣屋筆頭地役人(代官)をつとめたことに由来するもので、本文書群の中心である。その中をさらに分ければ、a,陣屋関係と、b,支配所関係、からなる。a,は板倉家中からの用状や、貞享年間から万延年間におよぶ百数十冊の陣屋日記等である。b,は板倉氏の三河国知行所4か村(深溝村のほか幡豆郡江原村、駒場村、岡嶋村)および山城国知行所1か村(綴喜郡奈嶋村)の村方支配に関する史料で、土地、戸口、年貢収納、出入・訴訟その他に関する文書がある。 (2)は八田氏が板倉本家の知行所支配に関わっていたことによる伝来文書で、幡豆郡貝吹村の村方関係文書や板倉本家中島陣屋の米積送り関係文書などが若干ある。(3)は7代知氏が享保期に旗本石川氏の保久陣屋詰代官を兼任したことに由来する文書で、点数はごく限られている。(4)は、八田家の私的な文書で、書状や風聞書などが中心である。(5)は本来板倉家の作成、襲蔵にかかると推定される文書が何らかの理由で八田家文書の一部として伝来したもので、「先祖書」や「御沙汰書」などがある。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | 本文書群に含まれていた「三河国額田郡伊賀村文書」(23F-2)を分離した。 |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第21集(1973年) |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | ― |
出版物 | ― |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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