識別記号 | ac1960020.01 |
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資料記号 | 35T-1 |
標題 | 長野県北佐久郡大里村役場文書 |
年代 | 1874年~1941年 |
主年代 | 明治 |
年代注記 | 1874(明治7)年-1941(昭和16)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 2m/87点 |
物的状態注記 | 87点 |
出所・作成 | 大里村役場 |
履歴 | 小諸市域のうち、旧大里村は、長野県の東部、高峰山の山麓に位置し、千曲川支流の深沢川・杤木川などの流域にあり、中山道の脇往還北国街道、現在は国道18号線が横断している。現在の小諸市の北部に位置している。近世ではここに西原村、諸村、滝原村、菱野村、後平村の5か村があった。村高は、『旧高旧領取調帳』では、西原村が615石余、諸村が394石余、滝原村が465石余、菱野村が784石余、後平村が89石余であった。 近代では、明治維新後、小諸県を経て、1871(明治4)年より長野県となり、大小区制期では、1873(明治6)年、佐久郡第十一区、1876(明治9)年、長野県北第六大区四小区(一部、五小区との文書がある。)に属し、1879(明治12)年の佐久郡の分画では北佐久郡に属した。この間、1875(明治8)年、菱野村と後平村は合併して菱平村となった。連合戸長役場時代には諸村など4か村が単一の戸長役場に組織され、1889(明治22)年の市制町村制施行に際しては、4村が合併して大里村となった。1891(明治24)年の戸口は、492戸2572人であった。 1954年、小諸町など3町村と合併し、さらに同年、南大井村、三岡村と合併、小諸市となった。 (関係地)長野県佐久郡西原村・諸村・滝原村・菱野村・後平村‐菱平村‐北佐久郡西原村・諸村・滝原村・菱平村‐大里村‐小諸市西原・諸・滝原・菱平[現在] |
伝来 | 1961年に他の35Tの文書とともに、一括して故紙業者より購入。 |
入手源 | 故紙業者 |
範囲と内容 | この文書群は、各村の村扱所・連合戸長役場・村役場時代を通じてのもので、内容は主として対県庁・郡役所文書、議会(国、県、郡)・財政・土地・戸籍・学事・衛生・埋葬・産業関係文書、その他住民よりの文書などである。例示すれば、次の通り。 (1)各村扱所・戸長役場文書のうち、 a,菱平村(菱野村、後平村)文書では「戸籍帳」「衛生戸籍台帳」「脱落地編入願」、 b,滝原村文書では「衛生人員台帳」、c,西原村文書では「戸籍取調帳」、d,諸村文書では「衛生台帳」などがある。(2)四箇村戸長役場文書では「本県郡役所諸進達書留」「諸布達其他綴込帳」「諸官衙戸長役場照会書類」「郡役所達留」「県郡往復人民願届書類綴」「諸願伺届書綴込」「諸願進達書綴込」「各村人民願伺書綴込」「戸長役場諸上申書扣留」などがある。 (3)大里村役場文書のうち、 a,対県庁・郡役所関係では「諸指令伺等綴込」「郡役所御達書綴」「町村制関係通知書綴」「甲号往復文書綴込」「県郡往復書類綴」「他郡役所・才判所・警察署・他村役場照会書留」「丙号書類綴込」、b,郡及び郡会関係では「郡予算決算綴」「北佐久郡会決議書」、c,財務・租税関係では「県税徴収原簿」「村税徴収原簿」「地租附加税徴収原簿」「財産台帳」「諸収入金徴収原簿」「歳入内訳簿」、d,戸籍関係では「寄留届」「出寄留簿」「出入寄留届書綴」、e,学事関係では「学事関係書類」「授業料徴収簿」、 f,衛生・埋葬関係では「衛生戸籍台帳」「種痘台帳」「埋葬許可証下付願書」「埋葬許可証綴」「墓地管理者交迭届」、g,住民願届関係では「人民願届書類綴」「印鑑届書綴込」「印鑑取調帳」、h,産業関係では「農商工事通信簿」「農商工事統計表様式」、 i,兵事関係では「兵役関係書類」、j,選挙関係では「県会議員選挙人名簿」「衆議院議員選挙人名簿」、k,土地関係では「除名寄綴込帳」「共同苗代台帳」「名寄帳」、l,その他では「鉄砲台帳」などがある。」 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | これまでの文書群「長野県北佐久郡小諸町・大里村戸長役場書類」(35T)を分割した(仮番号1−3・66・68−69・96−98・105−147・150−184)。 |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | |
出版物 | |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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