識別記号 | ac1962003 |
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資料記号 | 37C |
標題 | 出羽国雄勝郡湯沢町文書 |
年代 | 1783年~1856年 |
主年代 | 江戸後 |
年代注記 | 1783(天明3)年-1856(安政3)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | .2m/10点 |
物的状態注記 | 10冊(数量は目録カードによる) |
出所・作成 | 未詳 |
履歴 | この文書群は、多く雄勝郡湯沢町・岩崎村に関するものであるが、出所を特定できない。 湯沢町は、横手盆地の南端、雄物川中流の右岸に位置し、現在の湯沢市の北東部を占める地域である。近世では、久保田(秋田)藩領雄勝郡東山通に属し、佐竹南家所預の小城下町(在町)であった。近世を通じ当高(貢納高の算定基礎)1600石余、戸数1000余戸、人口5000人余の町と推定されており、雄勝郡の中心地であった。近世初期には岩崎村を親郷とする寄郷であったが、1820(文政3)年、岩崎村に代わって16か村の親郷となった。1889(明治22)年、市制町村制を施行、1954年、岩崎町など5町村と合併し湯沢市となった。 岩崎村は、湯沢町の北、雄物川の支流皆瀬川流域にある。18世紀末の「寛政村付帳」では、当高768 石余、18世紀前半(享保期)で戸数は枝郷を含め241戸であった(角川地名辞典)。また、近隣16か村の親郷を勤めていたが、1820(文政3)年、湯沢町を親郷とする寄郷となり明治維新に至った。1889(明治22)年、市制町村制の施行に当たっては成沢村と合併、岩崎町となった。 (関係地)出羽国雄勝郡湯沢町‐岩崎村‐秋田県湯沢市[現在] |
伝来 | 1962年に古書店より購入。 |
入手源 | 古書店 |
範囲と内容 | この文書群は、従来「岩崎村肝煎記録」とも称され、「出羽国雄勝郡岩崎村宮原喜太郎旧蔵史料」とも伝えられてきたが、購入の際の評価に付された「湯沢町役方文書」が、内容に近いと思われる。この史料は10冊あるが、このうち下記の(1)に属する9冊が同じ装丁(内、8冊に「一」から「八」の番号が付されている。)であることから、一群のものとして伝来してきたことが知られる。ただし、これらが、岩崎村宮原喜太郎旧蔵史料として一括しうるとする確証はない。宮原喜太郎旧蔵とする根拠は、このうちの1冊に「岩崎村宮原喜太郎写」とあることから、当初の仮整理担当者が推測したにとどまる。「岩崎村肝煎記録」としてきたのも、一部に「岩崎村記録より写」などとある記事によるものであろうが、史料の大半は岩崎村よりも湯沢町のもの方が多く、いわば湯沢町を中心とした雄勝郡東山通諸村にかかる記録という方が、より適切である。各史料は次の通り区分される。(1)東山通諸村記録では、a,役方関係として諸願書控帳面認方を記した「古書附・馬牛雛形」、役方日記である「見聞書」、b,藩政関係として「御巡見使様御答書」「被仰渡書写」「御制札之写・諸上納控書心得」、c,検地・貢租関係として「田法秘密録」「村々収納帳」「十井記」(三切熊蔵秘伝録)があり、(2)その他の記録では、「岩淵夜話」がある。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | 仮目録(昭和37年度)・カード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | |
出版物 | |
注記 | これまでの史料群名は、「岩崎村肝煎記録」。 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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