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この文書群は、多く雄勝郡湯沢町・岩崎村に関するものであるが、出所を特定できない。 湯沢町は、横手盆地の南端、雄物川中流の右岸に位置し、現在の湯沢市の北東部を占める地域である。近世では、久保田(秋田)藩領雄勝郡東山通に属し、佐竹南家所預の小城下町(在町)であった。近世を通じ当高(貢納高の算定基礎)1600石余、戸数1000余戸、人口5000人余の町と推定されており、雄勝郡の中心地であった。近世初期には岩崎村を親郷とする寄郷であったが、1820(文政3)年、岩崎村に代わって16か村の親郷となった。1889(明治22)年、市制町村制を施行、1954年、岩崎町など5町村と合併し湯沢市となった。 岩崎村は、湯沢町の北、雄物川の支流皆瀬川流域にある。18世紀末の「寛政村付帳」では、当高768
石余、18世紀前半(享保期)で戸数は枝郷を含め241戸であった(角川地名辞典)。また、近隣16か村の親郷を勤めていたが、1820(文政3)年、湯沢町を親郷とする寄郷となり明治維新に至った。1889(明治22)年、市制町村制の施行に当たっては成沢村と合併、岩崎町となった。
(関係地)出羽国雄勝郡湯沢町‐岩崎村‐秋田県湯沢市[現在]
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