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【山梨県東山梨郡加納岩町役場文書】 |
| 資料記号 | 37X6-2 |
|---|---|
| 標題 | 山梨県東山梨郡加納岩町役場文書 |
| 年代 | 1886年~1946年 |
| 主年代 | |
| 年代注記 | 1886(明治19)年-1946(昭和21)年 |
| 記述レベル | fonds |
| 書架延長/数量 | 0.1m/9点 |
| 物的状態注記 | 9点 |
| 出所・作成 | 加納岩町役場 |
| 履歴 | 加納岩村(町)は、甲府盆地の北東、笛吹川中流左岸(西岸)と支流重川が合流する平坦地にあり、平等村、上万力村とは笛吹川を挟んで東西に分かれている。かつては青梅街道、秩父往還が通り、現在はJR中央本線が横断している。現在の山梨市南部に位置し市役所が所在するなど同市の中心部である。近世では栗原筋に属し、上神内川村、下神内川村、上石森村、下石森村、大野村の5か村に分かれていた。 明治維新後、この地域は、甲府県、甲斐府、甲府県を経て、1871年(明治4)から山梨県となり、大小区制期には、1872年(明治5)に山梨郡第十二区、1876年(明治9)に山梨県第二十六区となり、1878年(明治11)の山梨郡の分画に際しては、東山梨郡に属した。この間、1874年(明治7)6月29日に上・下石森村が石森村に、翌75年(明治8)1月には上・下神内川村が神内川村に、それぞれ合併、改称し、さらに同75年7月5日には、神内川村、石森村、大野村3か村が合併して加納岩村となった(『山梨県市郡村誌』)。同村の村政機構は、1875年の「村事務所」、78年(明治11)の「村役所」を経て、1884年(明治17)の「戸長役場」となるが、戸長役場の設置にあたっては、日下部村、後屋敷村との3村による聯合戸長役場が組織され、日下部村加納岩村後屋敷村戸長役場(目録本文の表記にあたっては名称を日下部村外二箇村戸長役場に統一した)と称し、役場を後屋敷村に置いた。1889年(明治22)の市制町村制の施行にあたっては、3村は単独で施行しそれぞれ別に役場を置いた。 その後、加納岩村は、1932(昭和7)年4月1日に町となり、1954年7月1日、後屋敷村とともに、平等村と上万力村が合併した山梨村、日下部町、八幡村、岩手村、日川村と合併し山梨市となり、現在に至っている。 (関係地)山梨県山梨郡第十二区石森村・神内川村・大野村/山梨県山梨郡第十二区加納岩村/山梨県山梨郡第二十六区加納岩村/山梨県東山梨郡加納岩村・日下部村・後屋敷村/山梨県東山梨郡加納岩町/山梨県山梨市[現在] |
| 伝来 | 1962年に他の37Xの文書とともに、一括して故紙業者より購入。 |
| 入手源 | 故紙業者 |
| 範囲と内容 | この文書群は、鬼脇村役場文書に少数混入していたものであって、加納岩村(町)役場分は、町村制施行以降の史料という以外に格別な特徴がない。文書群の史料集積時期は、後屋敷村を含めて聯合戸長役場・組合役場以降で、明示されている限りの史料の年次としては、1886年(明治19)か’ら1911年(明治44)に至っているが、実際の年代幅はさらに広いはずである。 後屋敷村関係分とも、目録編成を次のように行った。まず、第1次項目として設定したのは、加納岩村(町)役場文書(7点)および参考とした日下部村外二箇村戸長役場・後屋敷村役場文書(2点)である。加納岩村(町)役場文書は、国税納入・兵員招集事務・馬匹徴発文書などで、第2次項目は、国税、兵事、学事、荷物である。このうち、「直接国税総納額簿」は、同村の文書であるとの確証がない。日下部村外二箇村戸長役場・後屋敷村役場文書は、戸籍(後屋敷村関係)のみである。 |
| 評価選別等スケジュール | ― |
| 追加受入情報 | ― |
| 整理方法 | ― |
| 利用条件 | ― |
| 使用条件 | ― |
| 使用言語 | Japanese |
| 物的特徴及び技術要件 | ― |
| 検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第72集、収蔵歴史アーカイブズデータベース |
| 原本の所在 | ― |
| 利用可能な代替方式 | ― |
| 関連資料 | ― |
| 出版物 | ― |
| 注記 | 後屋敷村役場文書(戸籍関係2点のみ)含む |
| 収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
| 識別記号(内部用) | ac1962024.0602 |
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