識別記号 | ac1966014.04 |
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資料記号 | 41N-4 |
標題 | 山梨県北都留郡巌村梁川村戸長役場引継文書||The old records of Iwao village headman's office, Kita-tsuru district, Yamanashi prefecture |
年代 | 1786年~1876年 |
主年代 | 明治前 |
年代注記 | 1876(明治9)年頃 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | .1m/3点 |
物的状態注記 | 3点 |
出所・作成 | 巌村戸長役場 |
履歴 | 巌村は、桂川(相模川上流部)とその支流鶴川の合流点に位置し、桂川に沿う甲州街道の新道が村内を東西に横断し、現在の上野原町の南西端に位置する。近世では、ここに、川合、四方津、松留、八ツ沢の4か村があり、いずれも郡内領に属し、『旧高旧領取調帳』では、川合村が120石余、四方津村が196石、松留村が89石、八ツ沢村が171石余であった。 近代では、明治維新後、石和県、甲斐府、甲府県を経て、1871(明治4)年より山梨県となり、大小区制期には、1872(明治5)年、都留郡第十一区、1876(明治9)年、山梨県第三十区に属し、1878(明治11)年の都留郡の分画では、北都留郡に属した。この間、1875(明治8)年、合併して巌村と称し戸長役場を四方津に置いた。また、1884(明治17)年、梁川村と連合の戸長役場が設置され役場位置を両村の中間に置いた。1889(明治22)年、市制町村制の施行にあたっては、梁川村との連合を解消し単独で施行した。1891(明治24)年の戸口は、342戸、2129人であった。1955年、上野原町ほか6か村と合併、現在の上野原町となった。 (関係地)山梨県都留郡巌村‐山梨県北都留郡巌村‐山梨県北都留郡上野原町[現在] |
伝来 | 1966年度に他の山梨県下町村役場文書とともに、一括して古書店より購入。 |
入手源 | 古書店 |
範囲と内容 | この文書群は、地租改正以降の土地関係の次の文書である。「地所(一筆限)取調帳」「無年期開墾帳」 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | これまでの文書群「山梨県北都留郡諸村役場書類(1)」(41N)を分割した(仮番号149−151)。 |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | 史料館所蔵史料目録第72集 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | |
出版物 | |
注記 | 関係記事『史料館報』第4号 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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