| 資料記号 |
F7504 |
| 標題 |
武蔵国江戸山岡家文書 |
| 年代 |
1591年~1882年 |
| 主年代 |
― |
| 年代注記 |
1591(天正19)年-1882(明治15)年 |
| 記述レベル |
fonds |
| 書架延長/数量 |
/3点 |
| 物的状態注記 |
マイクロフィルム;3リール 1333コマ 12冊 251点。版本、彩色図を含む。
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| 出所・作成 |
山岡家 |
| 履歴 |
山岡家は近江国甲賀郡を発祥の地とし、初代景友(道阿弥)が織田信長・豊臣秀吉、のち徳川家康に仕えたのに始まる。景友は1601(慶長6)年1月25日に近江国甲賀郡において9000石(但し、4000石は甲賀衆給分)を得た。景以、景晴と続いたが、景晴が早世(享年29歳)し、無嗣のため采地を収公された。その後、景晴の庶子宣友が廩米300俵をえて再興し、以後幕末まで続いた。役職では番方にあたることが多かった。幕末期には景恭が西丸目付、佐渡奉行、日光奉行、奈良奉行を歴任した。維新後、山岡家は東京府士族に属した。景恭の子、景福(1882(明治15)年没)は小学教員を勤め、1877(明治10)年病気により免職、翌年には私学山岡学校(東京都京橋区)を開設した。
(関係地)1.近江国甲賀郡‐滋賀県甲賀郡[現在]|2.武蔵国江戸麹町‐東京都千代田区麹町[現在]|3.東京都芝区西久保桜川町4番地‐東京都港区虎の門[現在] (主題)旗本|西丸目付|山岡学校教員 (役職等)旗本|西丸目付|山岡学校教員
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| 伝来 |
山岡景恭氏(千葉県市川市) |
| 入手源 |
山岡景恭氏 |
| 範囲と内容 |
山岡家が所蔵するほぼ全史料をマイクロ収集した。 (1)山岡家の家史料が中心で、幕府の役職に関わる史料はほとんど伝存しない。代々先祖書・系譜類がまとまっている。初期の景友・景以関係では、1591(天正19)年、1592(天正20)年、1593(文禄2)年、1617(元和3)年の秀吉・秀忠朱印状・知行目録、御内書、申置状(一幅5通)および書状類がある。特に1641-1673(寛永18-寛文13)年頃の同族諸家宛の書状群は、幕藩制初期の旗本家成立事情がうかがえる。幕末では、景恭の位記・口宣案、詠草・漢詩類がある。他に、山岡一族の発展に密接なつながりをもつ、三井寺光浄院・京都知恩院関係史料も関連して利用ができる。 (2)明治期の山岡学校経営に関する記録類(山岡学校日録・開設書類)が若干ある。
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| 評価選別等スケジュール |
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| 追加受入情報 |
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| 整理方法 |
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| 利用条件 |
― |
| 使用条件 |
― |
| 使用言語 |
Japanese |
| 物的特徴及び技術要件 |
― |
| 検索手段 |
マイクロ収集史料目録 |
| 原本の所在 |
山岡景恭氏(千葉県市川市) |
| 利用可能な代替方式 |
― |
| 関連資料 |
『寛政重修諸家譜』巻1144。 |
| 出版物 |
『史料館報』23号(1975年12月)を参照のこと。 |
| 注記 |
これまでの文書群名は「旗本山岡家文書」 |
| 収蔵名称 |
国文学研究資料館(歴史資料) |
| 識別記号(内部用) |
ac1975204 |