| 資料記号 |
F7609 F7702 |
| 標題 |
河内国若江郡下小坂村山沢家文書 |
| 年代 |
1607年~1876年 |
| 主年代 |
― |
| 年代注記 |
1607(慶長12)年-1876(明治9)年 |
| 記述レベル |
fonds |
| 書架延長/数量 |
/20点 |
| 物的状態注記 |
マイクロフィルム;20リール 1万2712コマ 80冊 100点 |
| 出所・作成 |
山沢家 |
| 履歴 |
山沢家は旗本石丸家の郷方役人として代官・大庄屋を享保期以降ほぼ世襲して勤めている。同家のある下小坂村は、初め北小坂村と称していたが、1633(寛永10)年から下小坂村となった(撮影した1607年・慶長12年の検地帳は北小坂村、1642年・寛永19年の検地帳は下小坂村)。石丸氏の知行所は1704(宝永元)年以後、上方では河内国若江郡下小坂村と中小坂村、丹北郡木本村、志紀郡北条村の4か村で、他に武蔵・上総両国に7か村があった。山沢家は享保期に知行所の農民の中からはじめて代官に任命され、河内国知行所4か村の貢租徴収を一手に処理し、旗本石丸家財政を統轄した。 近世後期の山沢家の持高は、1771(明和8)年の18石余を最低に、1791(寛政3)年でも20石弱に過ぎず、分家と推定される六左衛門(3石余)分を合わせても23石余である。化政期以降持高を増大し、天保期に入り急速に土地集中を進めていくが、当初はもっぱら富農的な手作経営を基盤としながら、一方で寛政末年から天保初年に至る約30年間に利貸経営を伸長させる。
(関係地)河内国若江郡北小坂村‐河内国若江郡下小坂村‐堺県若江郡下小坂村‐大阪府若江郡下小阪村‐東大阪市下小阪[現在] (主題)郷方役人(代官・大庄屋) (役職等)郷方役人(代官・大庄屋)
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| 伝来 |
山沢正雄氏(撮影当時、大阪府東大阪市史編纂室寄託)。現在、同編纂室所蔵。
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| 入手源 |
山沢正雄氏 |
| 範囲と内容 |
撮影は郷方役人として在任したために伝来した公的史料を対象とし、山沢家の経営史料や私的記録は対象としていない。内容は、1751(宝暦元)年以降、幕末迄の江戸御用留、江戸状控と、化政期の江戸御状至来分留で、これらは江戸の領主役人との往復書類の控である。この他に1831‐1854(天保2-嘉永7)年の「江戸御用状至来控」が纒っている。また、旗本石丸家関係としては1787(天明7)年の官里記録、1846(弘化3)年の石丸家記録、弘化期以降の殿様勝手向関係の史料、その他各種の申上届書、為替、用水樋普請願、御機嫌伺、貢租勘定請証文、御用金、頼母子、役仰付などの史料を含む。土地関係としては1607(慶長12)年の片桐市正の北小坂村検地帳(当該地域特有の半田形態)、1642(寛永19)年・1665(寛文5)年・1681(天和元)年・1728・1730(享保13・15)年(写)の下小坂村検地帳、1703-1873(元禄16-明治6)年の水帳、1744(延享元)年の名寄帳など、戸口関係では1760-1791(宝暦10-寛政3)年の宗旨改帳などである。 山沢家文書については『布施市史編集史料目録』3に約3000点の史料が収録されている。
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| 評価選別等スケジュール |
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| 追加受入情報 |
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| 整理方法 |
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| 利用条件 |
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| 使用条件 |
複写できない。 |
| 使用言語 |
JAPANESE |
| 物的特徴及び技術要件 |
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| 検索手段 |
マイクロ収集史料目録 |
| 原本の所在 |
大阪府東大阪市史編纂室。 |
| 利用可能な代替方式 |
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| 関連資料 |
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| 出版物 |
山沢家文書については『布施市史編集史料目録』3に約3000点の史料が収録されている。
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| 注記 |
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| 収蔵名称 |
国文学研究資料館(歴史資料) |
| 識別記号(内部用) |
ac1976209 |