【播磨国美嚢郡三木町宝蔵保管文書】
識別記号 ac1993202
資料記号 F9302
標題 播磨国美嚢郡三木町宝蔵保管文書
年代 1580年~1925年
主年代
年代注記 1580(天正8)年-1925(大正14)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 /25点
物的状態注記 マイクロフィルム;25リール 1万2911コマ 105冊 1602点
出所・作成 三木町・下五ヶ町・上町・前田町・惣年寄十河家
履歴 三木町は、戦国期は別所氏の城下町であったが、近世では在方町として存続した。その支配は18世紀においては東国大名の飛地領であることが多かった。 三木は十ヶ町からなり、上五ヶ町・下五ヶ町という2つの組合町により構成されていた。この町方十ヶ町の部分が地子免許であることが特徴的であった。個別の町名を列挙すれば、上五ヶ町は滑原町・平山町・東条町・芝町・大塚町であり、下五ヶ町は下町・中町・明石町・上町・新町である。個々の町に町年寄が置かれ、これらを2つの組合町の惣年寄2名が統轄するというシステムをとっていた。またそのほかに年貢を負担する地方の町が前田町など6つあり、それぞれに庄屋が置かれていた。下五ヶ町の惣年寄十河家は近世初期においては代官的豪商であり、その後天保期までほぼ世襲で惣年寄を勤めていた。また十河家は三木町惣鎮守である大宮八幡宮の氏子頭でもあった。
(関係地)播磨国美嚢郡三木町‐兵庫県美嚢郡福井町・府内町・大塚町‐三木町‐三木市[現在]
(主題)―
(役職等)―
伝来 三木市(兵庫県)
入手源 三木市
範囲と内容 本文書は近世三木町の惣町文書を中核とする。17世紀においては惣年寄が惣町文書を保管していたが、秀吉の高札を根拠とする地子免許維持の訴願運動を契機に、地子免許の証拠史料である秀吉高札・検地帳・地子免許状を保管するため本要寺境内に「宝蔵」が1694(元禄7)年に建設された。以後、上記3件の史料以外の惣町文書も宝蔵に蓄積されるようになり、現在の史料群の中核部分が形成されたものと思われる。同時に、毎年6月18日の太閤・東照宮祭りと共に虫干の行事も行われるようになり、これは現在も「義民祭」として継続している。 このような(1)近世段階での本来の宝蔵保管文書のほかに、本史料群中には(2)惣年寄十河家文書、(3)上町文書、(4)前田町文書、などが含まれている。(2)は惣年寄十河家が引継管理していた三木惣町と下五ヶ町の文書、それに十河家が受け取った多数の書状類、あるいは大宮八幡氏子頭として授受作成した諸史料などである。(3)は十河家が上町年寄を兼帯していたため含まれている史料で、上町分の検地帳写のほか様々な町入用の帳面などがある。(4)では1772(明和9)年「前田町記録」などがある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法 本文書群のマイクロ目録は仮目録のため、紙焼本No.99−104の内容目録はない(作成中)。
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件 虫損の甚だしい史料が多い。マイクロフィルムは宝蔵文書の大部分を収録しているが、虫損が激しいために表紙のみの撮影に止めている帳面も少なくない。
検索手段 マイクロ収集史料目録(仮)
原本の所在 三木市(兵庫県)。所蔵機関の呼称は「三木市有古文書」。
利用可能な代替方式
関連資料
出版物 本文書群は『三木町有古文書』(永島福太郎編纂責任、青甲社、1952年)に部分的に翻刻され、目録も整備されている。また、全点翻刻を目指して『三木市有宝蔵文書』(三木市)の刊行が1994年から始まり、現在第2巻まで出版されている。なお『史料館報』60号参照。
注記 三木市では現在本文書群を「三木市有古文書」と呼んでいるが、当館では史料群の特質から表記の史料群名を付した。
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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