| 識別記号 |
ac2010010 |
| 資料記号 |
2010J |
| 標題 |
手島兵次郎文書||TESHIMA,Hyojiro Papers |
| 年代 |
1810年~1998年 |
| 主年代 |
1901-1915 |
| 年代注記 |
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| 記述レベル |
fonds |
| 書架延長/数量 |
5m/871点 |
| 物的状態注記 |
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| 出所・作成 |
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| 履歴 |
手島兵次郎は明治元(1968)年9月7日に広島市で広島藩士族の家に生まれた。明治25(1892)年7月に帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となり、盛岡区裁判所詰検事代理を命ぜられる。明治26(1893)年7月には仙台区裁判所詰検事代理となる。明治28(1895)年9月に麹町裁判所の判事に転補し、同月には横浜区裁判所、明治29(1896)年5月には横浜地方裁判所の判事に転補した。明治31(1898)年2月には検事に任命され、名古屋地方裁判所検事と名古屋区裁判所検事に転補した(兼任)。同年6月には裁判所書記登用試験委員を命ぜられる。同年12月には水戸地方裁判所に検事として転任する。明治32(1899)年6月には東京控訴院検事に転補した。その後、明治34(1901)年6月に台湾総督府法院判官に任命、覆審法院判官に補せられ、台湾へ渡る。明治35(1902)年に台湾総督府事務官兼参事官となり、民政部総務局法務課長に任命される。明治42(1909)年11月に台湾総督府法院検察官に任命、覆審法院検察官長に補せられる。また、覆審法院検察官長在任中の明治44年(1911)10月には民政部法務部長に任命され、大正3(1914)年6月まで務める。さらに、大正4(1915)年8月には台湾総督府臨時法院検察官を兼補する。その後、病を得て、大正5年(1916)10月に依願免官。大正7(1918)年6月19日に死去。
(関係地)台湾, 日本
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| 伝来 |
手島兵次郎文書は、手島の死後、東京の遺族の元に保管されていたが、戦時中に広島県の縁戚(川北家:三女光子の婚家)の土蔵内に移された。戦後しばらくの間、そのままの状態であったが、平成になって手島一志氏(兵次郎嫡孫:大阪府箕面市在住)の手許に戻され、自宅で保管されていた。その後、2009年12月、当館加藤聖文に国際日本文化研究センター松田利彦准教授を経由して手島兵次郎文書の寄贈が伝えられ、2010年1月に手島氏より正式に国文学研究資料館へ寄贈となった。
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| 入手源 |
遺族 |
| 範囲と内容 |
手島兵次郎文書は、司法官僚であった手島兵次郎の台湾総督府時代の文書類が中心である。内容は(一)台湾総督府時代の律令・規則制定関係の書類および辞令書類、(二)手島宛の書簡および晩餐会などの招待状類、(三)父手島政資他の手島家関係から構成される。なお、文書群には三女の嫁ぎ先である川北家の文書が若干混入している。
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| 評価選別等スケジュール |
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| 追加受入情報 |
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| 整理方法 |
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| 利用条件 |
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| 使用条件 |
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| 使用言語 |
日本語||Japanese |
| 物的特徴及び技術要件 |
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| 検索手段 |
『史料目録』第95集(2012年) |
| 原本の所在 |
国文学研究資料館(歴史資料) |
| 利用可能な代替方式 |
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| 関連資料 |
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| 出版物 |
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| 注記 |
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| 収蔵名称 |
国文学研究資料館(歴史資料) |