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解説:「諸工職業競」(No.1,3,4,6,7,8,9,10,11,12,13,14,16,506,507,508)は同一題名をもつ揃物で、年一の代表的作品である。ただし、落款の印形が形状・印文ともに不揃いであるのと、届日が3月22日(No.11,14,15,17)、4月21日(No.10,13,18)、4月22日(No.12,16,19,22,23)、無記入(No.20,21)の4式となっており、これまた不統一である。また、No.10は紙面全体に漆を引いて光沢を出しているが、ほかにも史料館が重複して所蔵する数点のなかに同様の漆引きがみられるのは、2種類を売出したものと考えられる。 対象にした職業は、外来の新商品の職人が主ではあるが、挑灯や錦絵などの在来職種も混在している。殖産政策を推進する過程で優秀な職人の確保が必要であり、勧業博覧会などへの出品者を通じて職人を発掘するのも一つの方法であった。その時に注目されるのは必ずしも新技術の保有者には限らなかったことである。この揃物と同じ明治12年に出版された『東京名工鑑』に収載された職人達は、こうした背景のもとで着目されたといえよう。同書が集めた職種とこの揃物の職種とが一致するわけではないが、例えば西洋馬具には乗馬具のほかに引馬具と馬車具が含まれていることがわかる。『名工鑑』の靴工は16人だが、この時期にはかなりの靴職人が需要に応じていたはずである。等身以上の大形陶器への絵付けが描かれている陶器画工の名工が21人も掲載されているのも興味深い。逆に『名工鑑』にない西洋家具職人が、すでに活動を始めている様子が判明する。また、靴や馬具製造のために大量の皮革を必要とした事情が、画面に在庫材料の形で描かれていることで推定される。(『明治開化期の錦絵』より)
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