日本実業史博物館準備室旧蔵資料 | |
37TA | |
01.絵画/07.産業 | |
01.絵画 | |
07.産業 | |
大日本物産図会 山城国宇治茶摘図一・宇治茶製之図二 | |
明治10 | |
1877 | |
絵師:広重III 落款: 本名等:安藤徳兵衛 版元:大倉孫兵衛 日本橋通一丁目十九番地 | |
技法:錦絵 法量:367×254 | |
数量:1 | |
37TA/00024 | |
00024 | |
解説:本格的に茶が栽培されるようになったのは、中世初めの12世紀末に禅僧栄西が喫茶の薬用に着目して、中国から移入してからといわれる。以後、各地で栽培されるようになるが、初めに名茶として認められたのは京都近郊の栂尾であった。宇治が、栂尾に代わって登場するのは中世末期である。その後は近代になるまで、宇治茶は茶生産の本拠地として、また良質の茶の生産地として、永く名茶の代表に挙げられていた。もっとも、近世になると、茶の需要の増大に伴って生産地も拡大し、いわゆる銘柄茶が各地に生まれている。本図は、茶摘みに始まって、以後の製造工程を描いている。茶摘みが、概して若い娘に限られているのに、葉撰びには年配の女性が混じっているのは実体を伝えているのであろうか。茶摘み女が小型の椅子を使用しているが、同形の椅子は『日本山海名物図会』巻二にも描かれている。下図の左辺に輸出用の茶箱が描かれているが、開港後の貿易では生糸に次ぐ主要輸出品であり、箱に貼られたラベルも一部では注目されていた。(原島) ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。 | |
史料群概要 | |
画像有 |