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解説:酒造の歴史は古いが、営業用の酒造の開始は14世紀中ごろのことであり、本格的な生産が始まるのは近世になってからである。それ以前に、酒造技術が次第に向上して、清酒が造られるようになっていた。摂津東部には酒造産地が多いが、17世紀には池田酒、18世紀には伊丹酒、19世紀初には灘酒というように、主生産地は次々と交代している。 上図は、原料の米を洗っている情況を描いたものであるが、これも『日本山海名産図会』巻一の構図をほぼ丸写しである。原図との相違点で目立つのは人物の着衣で、原図では腰ミノのほかは上半身もすべて裸であるのに、図では腹掛けか半天を着用している。酒造の現場が、図のように変化していたかは確認できない。当時の裸体風俗の矯正を推進していた一般的な政策を反映したものであろうか。前記の『日本山海名産図会』では、米洗いの場面に続いて、麹醸(こうじづくり)、〈もとおろし〉、酘中(そえなか)、もろみかきから圧搾してしぼるまでの、酒造の工程が詳しく描かれている。下図には、この工程の概略を説明文にして収載し、図は新酒をつめた酒樽の積出風景を描いている。(原島) ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
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