日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
大日本物産図会 常陸国養蠶之図一・常州鯉ヲ抱取ル図
明治10
1877
絵師:広重III 落款: 本名等:安藤徳兵衛 版元:大倉孫兵衛  日本橋通一丁目十九番地 
技法:錦絵 法量:375×258
数量:1 
37TA/00035
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解説:上 題名に「常陸国養蚕之図 一」とあるように、「大日本物産図会」シリーズには、飛騨(二)、下野(三)、磐城(四)、陸前(五)、陸中(六)、羽後(七)と全部で7枚の養蚕図が収録されていて、蚕卵から営繭を経て製糸までの養蚕の全過程が取り上げられている。このうち、実業史博物館旧蔵資料には一、二、五、七の4図が収集されているほか、四と六が当館所蔵の祭魚洞文庫旧蔵水産史料のなかに含まれている。 日本での養蚕の歴史は生糸の供給元として平安期にはほぼ全国規模で展開した。しかし、その後は十分に成長せず、良質の生糸は中国からのいわゆる白糸の輸入に依存する状況であった。養蚕が発展したのは近世に領主側の生産奨励と技術改良があったからであり、その過程で生産地の主力が東日本に移ったことは、前記7枚の取材地にも現れている。 本図は、養蚕のもととなる種紙(蚕卵紙)の売買を描いている。前年に採取した蚕卵の付着した種紙は、図の左上辺にみるように吊して乾燥させておく。上質の蚕卵は優良な蚕から採取するのは当然だが、種紙についても種子が平均的に付着していて、中央部が少し凹んでいて張りがあり、悪臭のないものがよいと、解説している。 下 鯉は日本全国で、しかも四季を通じて捕れる川魚であるため、古くから食用として賞味された。古くは淀の水車の近くの鯉が美味であると有名であったが、これは京都に近い地の利で多くの人に親しまれたからである。近世中期には関東産の鯉が著名になるが、これも江戸という大消費地を背景にしたものであろう。利根川水系の上州・武州に多いとされるなかで、常陸国の鯉がここに採用されたのは、美味もさることながら、その漁法の珍しさによるものであろうか。川中に網を張って追い込んだ鯉を、漁人が水中に入って素手で抱え捕るのは図に描かれたとおりである。ただし、これは必ずしもこの地域に独特の漁法ではなく、各地にみられるものであって、″鯉掴み″という熟語があるほどで、歌舞伎にも水中で鯉と格闘する場面の芝居があって、本水を使って夏芝居の景物であった。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
史料群概要
画像有