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解説:上 北陸の越中・能登・越前一帯には、早くから金属加工業が発達していた。高岡の鋳物は、1609(慶長14)年に前田利長が築城した翌年に砺波郡金屋村から鋳物師を移住させて金屋町を起こしたことに始まると伝えられる。以後諸役免除などの優遇策を受けて成長を続けた。ひとくちに鋳物というが、鍋釜や農具などの生活用の鉄器を扱う鋳物師と、仏具を中心として鍋や真鍮の鋳造物を扱う仏具屋とが、微妙な職域区分の上に併存していた。この点、解説文では両者の区分が明確に書きわけられていない。図の中央におかれた巨大な花瓶は、象眼銅器と呼ばれるもので、銅合金の鋳物に金銀などの象眼を加えたもので、その始源は、近世後期に発案された象眼矢立にあった。小形文具の矢立に象眼を施すことによって、趣味性を高めて、忽ち流行したという。その手法を拡大し、かつ釣鐘などの大形鋳物を製作する技術が、図のような巨大花瓶を作り出したといえよう。(『高岡市史』中巻) 下 タコは日本の周辺地域に生息しており、その種類も多い。大きさだけでも、最小14cmから最大3mまでのタコが日本近海にいるという。滑川の大タコは、それにしても誇張して描かれているようだが、解説文には″牛馬を取喰い、人を取れり″とあって、誇張を裏づけている。この説明は『日本山海名産図会』(巻四)からの借用であり、図も同書を参考にしたと考えられる。ただし、『名産図会』では、見開きページの上半分に海上の捕りもの場面を描き、下半分は海辺の街道筋になっていて、その中にタコの足を軒先に釣してある魚屋と隣接する茶店が描かれている。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
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