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解説:下図の題名に″壱岐国″とあり、上図が″同″となっているが、捕鯨の手順からいっても、下図が先で、上図が後になるべきであって、明らかに図の上下が逆の配置になっている。図中の解説も、この順になっていて、まず下図の方で、鯨の出現を知らせる見張り番から鯨舟による出漁と銛(もり)による捕獲までを説明し、上図では、その鯨の胴に縄をかけて、これを引上機で浜辺に引き上げて、解体することを記している。捕鯨漁については、近世に多くの捕鯨図、捕鯨絵巻が作成されており、詳細な情況を画像でみることができるのは広く知られていよう。 壱岐地方の捕鯨は、元和~寛永期に紀州と播州の捕鯨漁が伝えられ、壱岐の浦々に鯨組が組織されたといい、当初から銛を使用していた。後に肥前・平戸から鯨組が移動し、最終的に西海の捕鯨は、生島と五島に並んで壱岐が存続することになった。壱岐で捕れる鯨は、背美鯨や座頭鯨などの大形鯨が多く、1頭の収益が大きかったことも盛行を裏づけていた。壱岐の鯨漁といっても、冬には北方から南下する下り鯨を壱岐の東側海上で、春には西岸を北上する上り鯨を捕るというように、季節によって捕鯨の場所は同じでなかった。≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
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