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解説:上 養蚕図の第五。孵化した蚕は、与えられた桑を喰べながら、休眠と脱皮を四度くり返して成虫に育っていく。これを、図中の解説では″四度の居起″と表現している。この間の成長の速度は極めて早く、例えば1回目の脱皮は孵化してから4~5日であるが、体長は10倍近くになる。この成長に合わせて、飼料として与える桑の葉を摘み取る部位や刻み方を変えていく。同時に、1枚の蚕座で飼育する蚕の数を管理して、適切な量に調整する必要があった。蚕が成長しやすいように余裕をもった″うす飼″がよいわけで、反対に″あつ飼″では成長の余地がないため大きくなれず不良品となる。このほかにも、食べ残した桑の葉や排泄物の除去など、養蚕では最も忙しい時期である。 下 奥州の松島は、平安時代には京都から遠く離れていたにもかかわらず、天の橋立とともに名勝として挙げられていた。それは点在する島の規模の大きさが他に類をみない大きさによると思われる。島の数が多ければ、その景容にも変化がみられるわけで、その上に島が岩石だけでなく松樹が育っていて、その枝ぶりがさらに興趣を添えたのである。 埋木(うもれぎ)は、一定の条件の下で比較的に浅い土中に埋まって炭化の進んだ木片である。図中の解説にある名取川の埋木は、松島とともに平安時代に都にもきこえた名物であったが、幕末には青葉山付近で発見されて仙台の銘産となっていた。発掘した埋木を細工して、硯箱や菓子皿などを作ったのは、解説文が記している通りである。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
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