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解説:上 行李(こうり)は竹または柳を編んで作った、かぶせぶたの収容具である。〈ふた〉は身よりひとまわり大きく作ってあり、中が空の場合は身の全体を〈ふた〉が覆う形になり、定住して使用する場合には身と〈ふた〉と、ほぼ同形の2ツの容器として使うことができた。中国語では栲■(きへん・老)と書きこの字音から日本では行李の字を宛てたという。題名では行李の素材が竹だということで■(たけかんむり・考)■(たけかんむり・老)の字を用いている。本図では明確でないが、形状が同じであれば大小にはかわりなく、小さいものは弁当箱に使うものから、大きいものでは長辺が1mもある大形のものもあった。大形のものは旅行などの移動の際に、衣類などをつめて用いたが、素材が竹や柳であるため容器自体が柔軟性をもち、実の容積の倍量の衣類でも、〈ふた〉をして縄がけすれば無理なく使える容量の大きさが便利であり、しかも耐久力にもすぐれていた。移動後は、前記のように身と〈ふた〉に内容物を分けて収納できる機能性もあって、近世には広く使用された。豊岡での製作は近世初期と伝えられるが、行李の普及もその頃に始まったという。材料の柳には加工し易いコリヤナギが使用された。『毛吹草』(1645刊)には備中・備後も柳行李の産地に挙げられている。 下 蚕を手元で丹念に飼育する養蚕に対し、樹林に野生で生息する野蚕から採取するのが山繭である。養蚕に費やす手間と比較すれば、″其養法甚だ易し″ということになるが、野生なだけに年によって収獲が不安定であり、天候や鳥獣の被害から保護する必要もあって、決して易しいだけではなかった。だが、養蚕の糸よりも強くて野性味のある山繭には独特のよさがあって珍重された。 山で自然にとはいっても、全く放置して収獲できるわけではなく、野蚕が好んで食べる櫟(くぬぎ)や栗などを残して、他の雑木を伐り除くと、解説している。一方で、水を張った四斗樽で飼育する桶飼という方法があり、ここでも飼料は桑の葉でなくて、楢(なら)や樫(かし)などの小枝を用いた。但し、図の左上の台の下には四斗樽が並べてあるべきところ、恐らくは彫り誤って空間となったため、説明文の図解になっていない。図の中央で台上に立った人は樹上の残繭を採集しているところ、下辺は採収した繭を筵に並べて干しているところである。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
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