日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
大日本物産図会 甲斐国白柿製之図・甲斐国葡萄培養図
明治10
1877
絵師:広重III 落款: 本名等:安藤徳兵衛 版元:大倉孫兵衛  日本橋通一丁目十九番地 
技法:錦絵 法量:362×250
数量:1 
37TA/00042
00042
解説:上 甲州産の果実として、下図の葡蔔および栗と並んで柿が三大特産物に挙げられるが、全国的にみると栽培・生産量で特に甲州が上位にある訳ではない。この図では″白柿製之図″として干柿が対象となっているが、甲州での柿栽培の樹木数を明治末の統計でみても、生柿用が干柿用を上回っていて、干柿と甲州との関係は今一つ明白でない。 干柿の製法は、図にあるようにまず皮をむいてから、ヘタの部分を縄で結んでスダレのように吊す方法(つるし柿)と、串柿といって木や竹の長い串に挿して干す方法があった。説明文では、つるし柿の説明があるが、図には描かれていない。干し上がる前、または干し上げた後に、箱に入れたり莚で覆うなどすると表面に白い粉をふいて甘みが増すといい、これを白柿(ころがき)というと説明している。しかし、ころ柿は、干し上った柿をころがして丸形に整形したものを、ころがして作ったという意味でころ柿という、という説もある。 下 甲州葡蔔の起源は未確定であるが、『本朝食鑑』(1696年刊)に葡蔔は″甲州最も多し″とあって、近世前期にその地位が固まっていたことは確かである。説明文には″山梨郡岩崎村に産ずるを殊に好(よし)とす″とあるが、正しくは八代郡岩崎村であり、幕府への公納は岩崎村が行ってはいたが、山梨郡の勝沼村も岩崎村と並ぶ名産地として著名であった。このほかにも甲州各地で葡蔔が栽培されており、一般に甲州葡蔔と呼ばれるのであるが、甲州と葡蔔との因果関係は必ずしも明白でない。 収穫した葡蔔は、主に生果として消費されたというが、説明文の末底に″ぶどう酒、乾ぶどう、月の雫などを製す″とあるように、近世中期以降にはぶどう酒や乾ぶどうが少量ながら作られており、ぶどうを砂糖で包んだ月の雫も意外に歴史の古い菓子であることが知れる。また図にあるように、現在の観光農園の機能をすでにもっていたのである。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
史料群概要
画像有