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解説:上 苧麻(まお、ちょま)の一種である青苧(あおそ)を原料とし、その皮をアクでさらして糸にして布に織ったものを越後上布といい、麻に似て古くから使用されてきた布地である。近世初期に伝統的な織物に改良が加えられ、糸にヨリをかけて絣(かすり)を作り、布にシボをつけて小千谷縮となって、全国に普及した。『北越雪譜』(1837~41刊)に″越後縮は雪と人と、気力相半して名産の名あり″と記され、この図もその場面を描いているように、雪を利用した布晒しが製品の仕上げに役立った。一方で、約半年間を雪にとざされる環境が、屋内での織布に出精して生計を立てることを余儀なくした一面があったとも指摘されている。 下 近世の越後では、鮭は献上魚として、あるいは川年貢の有力資源として、極めて重要な魚であった。それというのも、信濃川、阿賀野川、三面川などの鮭が遡上する有力な河川が流れていたことによる。それぞれの流域に適した漁法で捕獲し、加工したのである。 ここに採り上げられた″鮭の洲走り″というのは、打ち切りという漁法で捕る時に生じる、付加的な現象だという。打ち切り漁法は、川中へ杭を打って、下流に張った網へ鮭を追い込むのだが、追い込むために水面を棹で叩いていくと、逃げまどった鮭が河原へ上ってそのままの勢いで洲の上を走るのを素手で捕らえるという珍しいものであった。≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
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