日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
大日本物産図会 周防国香蕈製之図・同国岩蕈採之図
明治10
1877
絵師:広重III 落款: 本名等:安藤徳兵衛 版元:大倉孫兵衛  日本橋通一丁目十九番地 
技法:錦絵 法量:371×250
数量:1
37TA/00047
00047
解説:上 椎茸は、山中の枯倒木にも自然に生育するが、それだけでは供給が不安定であるため、人工的な栽培が考案された。日本での椎茸栽培の起源について元禄時代(17世紀末)といわれているが、17正徳3)年刊の『和漢三才図会』に″春秋二時、〈ねずみ茸〉の法の如くして″育生し″今多くこれを造成す″とあるのをみると、起源はもう少し前へ引き上げられるとも考えられる。同書に″味甘く、香気最も美なり″とあり、これが本図の表題にある香茸の字を宛てた一因となる。同書には、また日向産を上等と評しており、ほかにも豊後や伊豆が椎茸栽培の先進地として知られている。本図で周防が採用された理由は不明であるが、博覧会には玖珂郡・佐波郡から各1人が出品している。但し、何れも干椎茸であった。これについて、解説には触れていないが、生椎茸だけでなく、乾燥させた干椎茸がすでに製造されて、貴重な食材となって今日に続いている。 下 石茸(岩茸)は、本来は茸の種類ではなく、地衣類という苔の一種である。深山の岩壁に、こびりつくように自生するところから岩茸と呼ばれるようになったという。日本の各地で採れるが、上図に椎茸を扱ったのに合わせて周防国に入れたのであろうか。 岩茸は、前記のような場所に生育しているので、図のように梯子をかけるか、または崖の上から畚(もっこ)をつり下げて採る方法がとられた。畚を使って採る図は『北斉漫画』にも″岩茸取″として描かれている。珍しい光景として描いたものであろう。但し、北斎の図と比べても構図上では本図への直接の影響は認められない。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
史料群概要
画像有