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解説:白壁や池の防水剤など、建築材料として石灰は古くから重要であった。古都京都に近いこともあって、近江の石灰が上質品とされ、美濃はこれに次ぐものだったという。図は『日本山海名産図会』(巻五)に近江石灰として描かれたものを引用している。山上で掘り出した石灰石を、荒っぽく下へ突き落としているが、落ちる間に自然に砕けるため破砕の手間がかからず、且つ落ちても砕けないものは不良品ということで、一挙両得の手法であった。下図は、山で掘り出した原石を、さらに細かく砕いたものを焼いて製品化する工程であるが、これも前記『名産図会』によれば、中央の平窯(がま)は近江での方式であり、右側の高い窯が美濃に特有の櫓窯というものだという。図中の説明で、石灰を焼くには平窯と櫓窯とが併存するようになっているのは、地域差が無視された感じである。ただし、両方式とも原石に木炭を混ぜて燃焼させて製品化する原理に変わりはない。美濃の櫓窯は、窯の内部がロート状に底部が狭くなっており、原石と木炭を何層にも積み重ねて、下から点火して火を上昇させ、焼けおちた石灰を下部の取出口から掻き出すので、合理的な構造といえよう。なお、石灰は重要な建築材料であったため、幕藩制下では領主による強力な監視規制のもとに管理された例が多い。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
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