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解説:上 蕎麦は、古くから日本で食用に供されたが、粒のまま他の穀類に混ぜる″そば米″か、粉にして″そばがき″または″そば餅″で食べていた。今日のように、粉にしたものを練った上、細長く紐状に切って食べるようになったのは近世以後と考えられている。いつ頃、どこで始まったかは不詳であり、信州で始まったというのも伝承の一に過ぎない。逆に、現在はただそばというが、近世前期には必ず″そば切り″といって、そばがきなどの食べ方と違うことを明示していたのは、切って食べる食べ方がまだ珍しかったからである。 画面右端の女性は、臼でひいたそば粉を篩でふるっているところ、右下辺の男性はそれに水を加えて練ったものをめん棒で延ばしており、これと向き合う男性が延ばしたそばを折り畳んで庖丁で切っている。こうして出来上がったそばきりは、左下辺で茹で上げて食用に供するのは今も同じである。 下 諏訪湖の八ツ目鰻は『日本山海名産図会』(巻四)にも登場する名産であった。冬に湖一面が結氷した時期に、氷上で薪を焚いて氷を割り、その裂け目から延縄を下したり、手繰網を使った漁法が珍しかった故もある。図は前記『名産図会』からの借用であるが、中央上部の漁人2人が新たに描き加えられている。なお、八ツ目鰻とはいうが、体形がうなぎと同形というだけで、うなぎとは別種の魚である。また、目の後ろに7対のえらが目のようにみえるのであって、目が8ツあるわけではない。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
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