日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
大日本物産図会 丹波国燧石切出之図・同国蜂蜜製之図
明治10
1877
絵師:広重III 落款: 本名等:安藤徳兵衛 版元:大倉孫兵衛  日本橋通一丁目十九番地 
技法:錦絵 法量:371×250
数量:1 
37TA/00054
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解説:上 燧石(火打石)は、簡便な発火具として永く使われていたが、使用範囲などは必ずしも明確といえない。火打石を使った切り火が神聖性を象徴するが、伝統的な神事儀礼には木もみ式の発火が守られていた。一般の家では火種を残しつづけることが、主婦の重要な任務であったともいわれている。火打石が各戸に備えてあれば、このような伝承は存在しないと考えられる。 初期には2ツの火打石を打ちつけ合って発火させたと考えられるが、後には鉄製の火打鎌を使って発火させた。これをホクチ(着火し易い蒲やパンヤなど)に着火させ、燃え上がった火を付け木(薄い木片の先端部に硫黄を付着させたもの)に移して、焚き口や灯火に点火するのである。後には火打箱と称して、火打石・火打鎌・ホクチ・付け木を1つにまとめる細長い箱が使われたが、ホクチを入れた部分には、燃え上がった火を消すための小形のふたがついていた。 図は丹波氷上郡(現、兵庫県)における採掘場であるが、同郡で特産品となっていた文献はなく、第一回内国博覧会にも同地からの出品はない。因に、同博覧会に火打石を出品していたのは、茨城・東京・静岡・長野・宮城・福島・秋田・島根・岡山・愛媛・高知の各県であった。 下 蜂蜜の利用は古くから知られていたが、いつ頃から養蜂が始まったかは明確でない。『日本山海名産図会』(巻二)には産地として、紀伊・熊野・安芸を始め、伊勢・尾張・土佐・石見・筑前・伊予・丹波・丹後・出雲を挙げており、広い地域で行われていたことを示している。 巣箱には、現在の箱形のほかに、図にも描かれているように桶形が併用された。ただし、その大きさや養蜂の方法などは、それぞれの地域によって違っていたという。秋には、巣の3分の2を切り取って蜂蜜を造るが、3分の1を残すことによって、翌年の巣作りのもとにしたのである。図の右下辺では、切り取った巣を煎じて蜂蜜を造っている情景が描かれている。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
史料群概要
画像有