|
解説:日本の農作の主力であった米は、近世の幕藩制社会にとっても、幕藩経済の基礎を支える存在として最重要の農産物であった。すべての農地に与えられた石高は、米の予想収穫高という仮定の数字を超えた現実味をもって農村を圧迫し、領知・知行を受ける武士もまた、その石高によって地位と待遇を評価された。このように位置づけられたから、日本中が米作地であったが、その中で、美濃、肥後、伊勢、尾張、遠江、肥前、日向、山城、大和、駿河、伊豆、近江、三河で産出する米が上等だと解説文は記している。一方で、天下の台所と呼ばれた大坂の米市場が、幕末期にその供給力で評価していたのは、加賀、備前、安芸、長門、周防、筑前、筑後、肥前、肥後の、俗に九蔵と呼ばれた産米であった。九蔵と前者との両方に挙げられているのは、肥前と肥後の2国に過ぎない。全国で生産しているが故に、特産物となりにくい米作の代表として肥後が選ばれたのは、それなりに納得のいく選定といえよう。 全国的にも知名度のあった肥後米であるが、米の品質の点では、城北米のなかの高瀬米、次いで城南米の八代米などが高い評価を得ていて、同じく肥後米といっても品質は均等でなく、そこに日本人の米へのこだわりがあることは、現在でも○○産の○○米に人気が集まることにつながっている。 米作の図として、田植と刈場を表題に選んだのは妥当な選択であろう。実際の米作の仕法については解説文に詳しく記してあるほか、田植図には代(しろ)かきが描きこまれており、刈場図では刈り入れ後の脱穀の様子を、クルリ、稲扱(いねこき)、唐箕(とうみ)などによって図示してある。 ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。
|