日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
大日本物産図会 佐渡国金山之図・佐渡金掘之図
明治10
1877
絵師:広重III 落款: 本名等:安藤徳兵衛 版元:大倉孫兵衛  日本橋通一丁目十九番地 
技法:錦絵 法量:350×241
数量:2 
37TA/00060
00060
解説:中世に砂金の採集を始めた佐渡鉱山は、近世に徳川幕府の直轄となり、生産技術の向上もあって、産出量は増加した。俗に″佐渡金山(きんざん)″というが、複数の鉱脈をもつ鉱山の総称として用いられた″金山(かなやま)″を、金属としての価値の高さをもとに″きんざん″というようになったものであろう。多くの場合、金は銀と併出するものであるように、佐渡でも金・銀の両種が採取された。実際の生産量は圧倒的に銀が多く、この点からも″さど・きんざん″の呼び方は、実体と一致しない。幕府にとっては、金と銀の貴金属を利用した通貨政策を維持するためにも、金銀の安定生産は必須の要件であった。 図の説明にもあるように、金は、粒状になって砂に混ざる砂金と、他の金属類と結合した鉱石状のものとの2タイプがあり、それぞれに応じた方法で金を抽出ないし精製していく。いずれにしても、原鉱を採取するために地中深くへ掘り進まねばならない。鉱道の堀鑿や構築に始まり、深部からの鉱石の搬出、特に湧出する地下水の排出などは、採掘後の精錬技術とともに、近世の鉱山開発に共通する難問であり、決して佐渡に限る課題ではなかった。現場では、狭い鉱道と噴出する有害ガスのもとでの苛酷な労働が求められ、鉱害病患者が多発したといわれる。図は、鉱道に入る鉱口部と、鉱内の採掘部とに分かれており、鉱内部では岩石をタガネと槌を使って掘鑿する人夫や、ポンプを使って地下水を汲みあげている様子が描かれている。いずれも、『金銀山絵巻』などの類書に似た構図を見出すことができる。(同一資料番号で、後摺のものがある。写真はなし) ≪「大日本物産図会」≫ の解説はNo.20を参照。 (採寸情報)写真のない方の図版は366×250mm。(青木睦)
史料群概要
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