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解説:『教草』(おしえぐさ)は、当時の国立博物館が様々な物産の製造過程を教育用に図説したもの。1873(明治6)年開催のウィーン万国博覧会への出品に際し、それに先だって日本全国の物産調査が行われた。博覧会事務局は田中芳男を中心に、各府県に名産品とその詳しい図説を提出するように求めた。これらの資料を元に編纂されたのが『教草』である。1872(明治5)年から9年にかけて、30枚が刊行された。産物そのものではないが、「鷹狩一覧」、「養魚法一覧」、「草木移植心得」、「草木乾?」の4枚が、同様の体裁で作られた。博物館・博物局関係者により執筆され、本草画家として知られる服部雪斎らが絵を描いている。 1875(明治8)年、火災によりこれらの版木が焼失した。そのため同年から9年に、初版をもとに版木を起こし、一部は校訂増補して再刊された。その際、24図分に「教草第~」と題名を付け、これが一つのシリーズであることを明確にした。逆に言うと、初版の段階でこれら全体を指すシリーズ名は、作品中には見いだせない。史料館の所蔵品にはこれに関連するものが合計25点ある。 No.71「教草第二四 蜂蜜一覧」は、蜂の種類、蜂の巣から蜜を採取する方法、その残りから蝋を製する方法などが図解されている。奥付は「明治5年冬 丹波修治編撰 溝口月耕図画 明治9年春 小林常賀校訂」となっており、再刊されたものの一枚であることがわかる。絵の作者は溝口月耕となっているが、右下の、蜂の種類を描いた部分には「服部雪斎図」という署名がある。全体は月耕が描き、蜂の種類の部分については、再刊の際、博物画家として優れた技量が認められていた雪斎が担当したと考えられる。 No.272~294は、史料目録では「大日本国産同蒙一覧」というシリーズ名が与えられているが、中身は『教草』初版にあたるものである。この名称は『教草』に関する文献には見いだせず、その由来は不明。収集の際に便宜的に付けられた可能性が高いが、『教草』が初版から「教草」と呼ばれていたという確証もないため、検討を要する問題である。また、これらには、すべてウィーン万国博覧会事務局の印が押されている。 No.609「豆腐一覧」も『教草』の一つ。豆腐の製造法が詳述されている。本図が初版か再版かは、現時点では不明。明治5~10年の頃は、殖産興業の基礎として博物学が盛んに行われた時代であった。しかも直接産業を指導するだけでなく、直ちにその成果を教育に注入している。『教草』はその代表的なものだが、他にも「小学掛図」の博物画シリーズなど、田中芳男を中心とする博物館・博物局の教育普及活動はめざましいものがある。本コレクションの『教草』は、初版の大半を網羅しており、非常に価値の高いものといえる。(参考:上野益三『日本博物学史』平凡社1773年、樋口秀雄解説『教草』恒和出版1977年)(田島)
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