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解説:石版画の技法は、明治初期に紙幣の印刷などから始まり、雑誌や書籍の挿図として普及した後、明治20年代にはいわゆる「額絵」と呼ばれる鑑賞用・土産物用の作品が多数制作された。「額絵」とは錦絵の大判や中版の大きさで、美人画や風景画を表した石版画を指す。砂目石版の微妙な陰影による写実的表現は、錦絵を時代遅れの視覚メディアに転落させる大きな一撃となった。本図は東京名所にならって、大阪の名所を題材にしたもの。長堀川にかけられた「心斎橋」は、アーチを持った鉄橋で、人力車が行き交い、背後の昔ながらの木造家屋と好対照をなしている。「川口波止場」大阪湾の河口で、煙突を持った蒸気船が多数停泊している。両図とも墨版の他に、淡い茶色と青の2色の版が用いられている。青はかなり退色してわかりにくいが、空の部分に使われている。「心斎橋」では白く抜いたところを雲に、「川口波止場」では丸く残して太陽を表している。英語の題名が併記されており、この手の石版画は外国人の土産としても人気が高かったものと思われる。版元の渡辺忠久は、三河出身、玄々堂に学び明治20年代に活躍。本図にも「画作兼印刷発行人」と記されているように、原画の制作も手がけた。(田島)
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