日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/10.地理
01.絵画
10.地理
古今東京名所 元筋違万代はし
明治16
1883
絵師:広重III 落款: 本名等: 版元:辻岡文助  横山町三丁目二番地 
技法:錦絵 法量:175×243
数量:1 
37TA/00087
00132
解説:「古今東京名所」シリーズの11番目として神田の筋違(すじかい)付近を取り上げている。場所は、日本橋から上野へ向かう中間点あたりで、江戸城門の一つであった筋違御門が設置されていた。城門は、俗に江戸三十六見附と呼ばれ、江戸城を守衛するために、城を中心にして螺旋状に設置されたもので、多くは枡形の構造をもっていた。ただし、三十六の数字は時代によって一定したものではなかった。城門であるから、ただ門が建設されているだけでなく、門脇には見張り番の武士が控えていた。見附という名称も、この見張りに基づいている。「古」の図の右側にみえるのが、それである。筋違門は、神田川の手前にあって、門の出口に筋違橋が架かっていた。その少し上流に昌平橋が並ぶように架けられていた。 維新後、筋違門に限らずその機能は廃止され、筋違橋の場所には1873(明治6)年に江戸城の石垣を使って石橋を架けた。形式は、いわゆる″めがね橋″で、石造であるから耐久性が高いと考えられて「万代(よろずよ)橋」と名づけられた。万代は万世に共通し、それを音読するようになって、現在は「まんせいばし」と呼ばれている。図の租税寮は1871(明治4)年に大蔵省の中に設けられたが、1877(明治10)年1月に租税局に昇格したので、この図が板行された時には、組織改正でこの看板も書き替えられていたはずである。 ≪「古今東京名所」≫についての解説はNo.83を参照。
史料群概要
画像有