日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/04.建築・土木
01.絵画
04.建築・土木
東京名所之内 石築万世橋盛景
明治7
1874
絵師:国輝II 落款: 本名等: 版元:伊勢屋兼吉版  南槙町 
技法:錦絵 法量:369×720
数量:3続 
37TA/00104
00149
解説:この場所にはもと筋違橋と呼ばれる橋があった。江戸城筋違橋門がその役割を終え、見附が解体される際、その石材を利用して作られたのが万世橋である。九州から技術者を呼び、2つのアーチをもつ、眼鏡橋の形式の石橋が1873(明治6)年に完成した。今日では「まんせいばし」と呼ばれているが、本図の橋の親柱に書かれているように、当初の名は「よろづよばし」だった。そのためしばしば「万代橋」とも表記される。石造の橋は東京では珍しかったため、開化名所の一つとなった。 本図は神田川の南から北東方向を見ている。橋上には人力車や馬車など新しい交通機関で賑わっている。橋の手前は広場になっており、飴売りなどの物売りが出店している。橋の完成とともに植樹も行われ、画面の右下では鍬を持つ植木職人が、いま桜を植え終わったところのようである。(田島)  江戸城を守護するために環状に設置された城門の一つであった筋違御門(すじかいごもん)が、維新後に撤去された際に、その城門の石を利用して西洋風の石造眼鏡橋を建設したのが万代橋である。竣工は1873(明治6)年であった。石造の、まして眼鏡橋は、東京市中の第1号であったから、人々の注目を集めたという。表題には″万世橋″とあるが、正しくは″万代橋″であって、橋柱にも″よろつよはし″とある。それが1906(明治39)年に、やや上流に架けかえた時に万世橋と改めたため、後にはこれを音読みして″まんせいばし″と呼んで今日に至っている。ただし、現在の万世橋は19昭和5)年に架設したもので、位置は旧筋違橋の辺に移動している。
史料群概要
画像有