日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/04.建築・土木
01.絵画
04.建築・土木
東京築地鉄砲洲景
明治2
1869
絵師:国輝II 落款: 本名等: 版元:ツキチ 大金/大黒屋金次郎梓  築地小田原町二丁目 
技法:錦絵 法量:370×1443
数量:6続 
37TA/00113
00158
解説:築地居留地を中心とした風景を6枚続にしたもの。町名でいえば、小田原町から入舟町、新湊町までの一帯である。右端には外国人用の宿泊施設に建設した築地ホテル、左3枚には、これまた外国人を目あてに設置した新島原遊郭を描く。図の中央にみえるのは東京運上所で、居留地における貿易による運上金の徴収機関として設置された。ただし、開港場は横浜であったから、運上所は税関の機能はもっていない。運上所の背後には12国の国旗が並んでいるが、イギリスやオランダは含まれていない。 新島原遊郭は、築地辺にあった武家の屋敷地を新政府へ公収した跡地を利用して、1868(明治元)年に開設した。一時は遊女1700人以上を抱える大規模な遊郭であり、場所柄から、隣接する居留地に在住する外国人を対象に想定していた。しかし、本図の新島原遊郭のなかには、外国人の姿がないわけではないが、遊客の大部分は日本人になっている。遊郭内の情景としては花魁(おいらん)の道中の様子や、遊客に飲食物を提供する″台の物″を頭上にのせて運ぶ姿などが描かれており、全体としては江戸以来の伝統を持つ新吉原遊郭をモデルにしてその風俗を移入していたといえる。新島原遊郭は、開設から3年後の1871(明治4)年7月には新吉原へ合併されて閉鎖になるが、客足が予想したほどに伸びなかったのも閉鎖の一因であろうか。なお、新島原遊郭が移転後の土地を再開発して成立したのが新富町であり、そこに明治前期を代表する歌舞伎小屋の新富座が開場した。 下段には、″築地鉄砲州開港、異人通用言葉あらましをここに出す″として、 (1)″乞食、黒国異人の通行を見附て、そばへ立寄り″異人と乞食の会話 (2)″酒にゑゐたる異人のそばへ、日本人近寄て″会話 (3)″系商人、異人館へ多くうりこみに行″ての会話 (4)″職人、異人館の造作を請合はなし″  (5)″夜中処の女、異人通行を指伺ひ、頓てそば近くさし寄″ての会話 (6)″蚕種紙売込の商人、異人あらためながら″の会話 (7)″げいしゃ大せゐの中へ、異人うちまじり大一座ニ而さわく処″の会話 (8)″商人、茶を異人へ売込之掛合言葉″  (9)″小つかひ、異人のあんなゐをして遊女屋へ行、異人くつニ而遊女屋座しきにあがり、夫より女郎大ぜい出て来て座す。異人惣方を見まハしていて″の会話 上記のいずれも、かたことの英語と日本語のやりとりを記している。下段の最終には英語で数量の発音をかな書きしてある。
史料群概要
画像有