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解説:物価の下落傾向を富士山からの下山行動で示した風刺画である。経済の動向を示すためのグラフという図表をもたなかった時代に、身近な生活行為におきかえて視覚的に表現する手法の一つが、登山と下山という行為であった。日本の最高峰である富士山を使ったものは、当コレクションのNo.322(慶応元年版)にもある。富士登山は、古代に霊山信仰として始まったが、近世には浅間神社信仰と合体して″富士講″による登山者が増大しており、一般人に受入れられ易い題材であったといえよう。 発行の1883(明治16)年からも明白なように、当時は2年前から始まった松方財政によるデフレの進行により、大半の物価が下落した不況期にあった。価格下落の品名は、行者姿の登山者が着用する菅笠に赤丸で記されている。多くの価格が下落するなかで、紙やぬり物などは反対に山頂をめざしていて、価格の上昇傾向を示している。 山上付近でよじ昇ろうとしている2人は、扮装も行者姿でなく歌舞伎の役者である。その詞書に″此節、諸式の下る中で、一人芝居半日で千二百五十円の給金とは、なんとこふせい(豪勢)、ツガモネヘ″とあるのが、具体的に誰かは不明だが、このころの座頭級は1興行の給金がこの程度の収入であった。当時、最上級の観劇料の4円と比較すると、高額の給金といえよう。遠景にヒマラヤ山があったり、気球が描かれているのも時代色を示すものである。
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