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解説:ともに中世に起源をもつ無尽と頼母子が、信仰集団としての講組織をとりいれて、無尽講または頼母子講となって近世には日本中に普及した。それは、やがて本来の互助金融機能から逸脱して当籖金をねらう射倖的色彩が濃いものへと移行した。出資者である講員が、それぞれの目的に落札金を使用するのでなく、無尽または頼母子という名目のもとで、一種のマネー・ゲームに参加するのである。1人でいくつもの頼母子講に加入している例は、このことをよく物語っているといえる。 ここには、男女16人の講員と、くじの判人となる子供が描かれ、15人分の独白が記されている。着物の模様や羽織の紋で照合できるようになっているが、判断できかねるものもある。 ″取やらぬ 寄りによりたる そのなかに 実を取人は 唯の壱人″ けだものや「アゝをれハもうとったあとだから、あとハだれでもかってにとるがいい」 はまぐりや「をれなんぞハ、またあたるにハすこしあいだがありそうだ」 すずめや「ヲイ、ろうそくやさん、しっかりとして、一ばんあたりをとんなせへヨ」 酒や「二ばんあたりハをれがとらねバならぬならぬ」 としま「モシ、どなたがおあたりでも、しっかりとおゝごりヨ、ヲホ・・・・」 しんぞう「おっかさん、あたりぶるまいのときハ、わたしもしんニいれておくれよ」 ろうそくや「いやでもおうでも、うでづくでも、とってみせようみせよう」 梅干や「をれハもうどうでもいいから、はやくしてくんなくんな」 おぼうさん「きんぼうちゃんハただかうやってばんをしてゐるばかりだが、あたッた人がいゝものをかってくれるから、それがたのしみだ」 いもや「をれハういた金だから、二のつきでもいゝから、おはぎやさん、おめへさきへとんなせへ、をそいと人にとられるぜ」 おはぎや「をれもこれまでにハ、いくら金をかけたかしれねへから、一ばんとりてへものだ」 かつをふしや「とても大あたりハとれめへが、どうかして、はなくじてもとりてへものだがなア」 大こんや「ヲイ、いやてもおうでも、をれなんぞハはなくじハとれさうだが、大あたりハむづかしいナア」 いせや「をらア、まことにいまとなってハつまらねへものだ、どうかして、いゝくふうがありさうなものだナア」 近江や「まことに、をれハまがわるくって、することなすことが、はづれるにハこまりきるて」
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