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解説:明治維新による社会変革がもたらした問題の一つは、大量に失職した旧武士階級(士族)をいかに待遇して活用するかにあった。1871(明治4)年の廃藩置県の実施は、現実に旧武士の職場を廃止したこともあり、士族が農業や商業に従事することを認める″帰農商″の、いわゆる士族授産政策に着手したが、士族の不平不満は解消しなかった。一方で、商業に転進した士族もあったが、商業に関する知識不足や、周辺で仲介する悪徳業者のために、事業に失敗する″士族の商法″が続出して、ここでも士族の不満が増大した。1874(明治7)年の佐賀の乱、1876(同9)年の神風連の乱など、各地で士族の不平分子による争乱が頻発している。1877(同10)年2月に起った西南戦争は、不平士族反乱の最大にして最後の争乱となった。 本図は、「士族の商法」の表題からみると、上記のような一般的な士族授産を扱っているようであるが、出版年の明治10年3月をもとに、子細にみていくと、出版の前月に熊本県で始まった西南戦争をあてこんだ作品といえる。帳場に座る主人の後ろに掲げてある絵は熊本城の戦闘図であり、左端で売っている饅頭の容器には″新政堂隆盛″と露骨に西郷隆盛を暗示している。上部に張り出した商品ビラの中央にも″熊鹿戦べい″とあって、鹿児島の西郷が熊本へ攻めこんだ戦いを指しているのは明かである。ヒゲをはやした主人が″しの吉や、まけてはいけないよ″の詞も、商品の値段を安くまけることにかこつけながら、戦争の勝負を応援しているともいえよう。
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