日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/04.建築・土木
01.絵画
04.建築・土木
〔東京風景〕 鹿鳴舘
明治20
1887
絵師: 落款: 本名等: 版元:  
技法:錦絵 法量:112×167
数量:1 
37TA/00324
00437
解説:鹿鳴館は、″鹿鳴館時代″という何となく華やかなイメージで語られることが多いが、建設から活動の経緯を探ると明治時代の暗部が浮かび上がる。1881(明治14)年に着工、1883年7月完工、同11月開館式と順調に進み、舞踏会などで話題を集めたが、僅か4年後の1887年9月には活動を停止し、1889年には第十五銀行に払い下げられてしまう。建設の目的が、幕末に締結した不平等条約を改正するために外国人に日本の開国度を認識させようという、井上馨(外務卿)の個人的発案によるものであったから、条約改正が進展せず、井上が失脚すると同時に、鹿鳴館の役割も終了したのであった。一政治家の無謀な計画で無駄な建築を実現させる典型ともいえるわけで、″鹿鳴館時代″の名称も舞踏でなく虚名に踊っているといえよう。 作者の井上安治が、師小林清親の作風を習得して、東京の名所風景をハガキ大の小判錦絵にして発表し始めたのは、1882(明治15)年で安治19才であったという。この揃物を「東京真画名所図解」というが(吉田映二『浮世絵事典』)、全部で何枚の揃物か、まとめて発行されたものかも確定されない。枚数については約160枚に達するといい、発行も最晩年の1889(明治22)年に及ぶともいわれている(『原色浮世絵大百科事典』第二巻)。四ツ切の小判であるために、部分的に簡略化されたり、構図に清親の原図を使用するなどの批判もあるが、逆に小判の中に優れた創作の感性が自由に発揮されていると評価する人もある。作品のなかにはたしかに、従来の錦絵とは違う、創作版画に通じるものが感じられる。同じ風景画シリーズである広重の『東海道五十三次』と並べる時に、その違いは時代の空気の差も現しているようである。
史料群概要
画像有