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解説:飛鳥山は東京の北端にある台地で、ここから北へ急斜面で下って関東平野につながっている。18世紀初めに8代将軍徳川吉宗が、この地に千本の桜を植えたことから桜の名所となって、江戸市民のよい行楽地として多くの人を集めた。図に点描されている休み茶屋も、そうした人々を迎える施設であった。山の下は王子で、煙突から盛んに煙を吐き出している新設の工場は、王子の代名詞となった製紙工場であろう。 作者の井上安治が、師小林清親の作風を習得して、東京の名所風景をハガキ大の小判錦絵にして発表し始めたのは、1882(明治15)年で安治19才であったという。この揃物を「東京真画名所図解」というが(吉田映二『浮世絵事典』)、全部で何枚の揃物か、まとめて発行されたものかも確定されない。枚数については約160枚に達するといい、発行も最晩年の1889(明治22)年に及ぶともいわれている(『原色浮世絵大百科事典』第二巻)。四ツ切の小判であるために、部分的に簡略化されたり、構図に清親の原図を使用するなどの批判もあるが、逆に小判の中に優れた創作の感性が自由に発揮されていると評価する人もある。作品のなかにはたしかに、従来の錦絵とは違う、創作版画に通じるものが感じられる。同じ風景画シリーズである広重の『東海道五十三次』と並べる時に、その違いは時代の空気の差も現しているようである。
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