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解説:1877(明治10)年に第一回内国勧業博覧会を開催してから27年後の1903(明治36)年3月1日に、第五回が大阪で開かれた。そして、内国勧業博覧会はこの回を最後に、再び開かれることはなかった。維新後の殖産興業政策の一環としての勧業博覧会事業の役割も終わったということである。 それでも、この回に初めて登場したものが少なくない。陶製のバス(洋式浴槽)や洗面器、6000個の電灯を使ったイルミネーション、あるいはメリーゴーランドやウォーターシュートなどの大型遊具などが紹介された。会場内の展示物にとどまらず、会場へのアクセスに乗合自動車や市内巡航船を運行したのも初めての試みであった。第三回に初めて企画された水族館は、大阪市から離れた堺市の大浜公園内に設置された。堺市では、前回に京都で第四回を開催したときにも提案したほどの、念願の水族館であった。それだけに内容も充実したようで、6月末までの4ヶ月間に80万人余の観客を集めたという(『堺市史』第三巻)。本図に四天王寺の境内図を併載しているのは、博覧会場が隣接していたからで、会場跡地は会期後に天王寺公園として公開された。なお、この四天王寺は、1945(昭和20)年の戦災で全滅的に焼失している。
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