日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/03.経済・金融
01.絵画
03.経済・金融
大阪新築大銀行頭取画報
明治34
1901
絵師: 落款: 本名等: 版元:万歳新聞   
技法:写真印刷 法量:260×361
数量:1 
37TA/00373
00557
解説:大阪にあった2つの銀行の頭取の肖像である。表題に″新築大銀行″とあるが、両銀行の新築年次は確認できなかった。ただ、本図が発行された1901(明治34)年は、大阪の金融界にとって苦渋の年であった。前年に起った北清事変への日本の海外派兵が、過大な融資を生んで銀行の休業や取付けが起った。これを契機として銀行の再編が進み、1901年には40行あった大阪の銀行は1907(同40)年には25行に減少しており、資本金は逆に増加するという、大銀行化現象の始年となっている(『明治大正大阪市史』)。以下に、頭取両人の略歴を紹介する。 [原 敬](1856~1921)当人については、何といっても19大正7)年に首相に就任したこと、それも藩閥政府の継続を中断させて、始めての″平民宰相″であったことで広く知られている。ただし、政治の方向は必ずしも平民へ向かず、首相に在任中に東京駅で刺客に暗殺された。 後の首相も、若い時は新聞記者から官僚となり、外務省から農商務省へ移り、1897(同30)年に一旦退官して大阪毎日新聞社の社長に就任した。1900(同33)年には政友会の発足に参加し、逓信大臣に就任している。しかし、翌1901(同34)年5月2日に内閣の崩壌とともに辞職して再び経済界へ戻り、本図にある北浜銀行の頭取となり、1905(同38)年には古河鉱業の副社長に就任している。 [松本重太郎](1844~1913) 丹後の農家に生れ、京都で呉服店、大阪で太物店に奉公した後、木綿の行商から始めて、維新後に洋反物を扱うなどして巨利を得て、1878(明治11)年に第百三十国立銀行を設立して取締役となった。同行は1898(同31)年7月に百三十銀行と改称し頭取を勤めた。同行以外にも大阪共立銀行などの金融機関を設立したほか、大阪紡績、阪堺鉄道(後の南海電鉄)、日本製糖などにも関与して関西における実業界で活躍した。なお、昭和期の国際ジャーナリスト松本重治は直孫に当る。
史料群概要
画像有