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解説:石造となった江戸橋から鎧橋方向を望む。本図の刊行は改印から1874(明治7)年10月とわかるが、江戸橋が石造となるのは『明治事物起源』などでは1875(明治8)年の4月とされている。つまり、端の完成前に絵ができていることになる。2つのアーチを持つその姿は、1873(明治6)年に完成した万世橋そっくりなので、江戸橋が石橋となることが決定した時点で先走って絵が作られたものだろうか。石造のアーチ橋は、九州方面では江戸時代から造られていたが、明治初期の東京ではまだ珍しかったため、開化絵の画題となった。 右奥に見える建物は、第一国立銀行。この建物は、1872(明治5)年6月に三井組によって建てられたもので、初め三井為換座、三井組ハウスなどと呼ばれた。擬洋風建築の代表作で、設計・施工は清水喜助。二階建ての西洋風建築の上に唐破風・千鳥破風を備えた城郭風の上層を作り、その上さらに物見櫓風の高楼を突出させるという、実に独創的な様式で作られている。竣工後ほどなく、三井組から、新たに制度化された国立銀行に譲り渡され、1873(明治6)年8月、第一国立銀行として開業した。 左に見える「商工商社」とは、三井物産の前身、東京商社か。(田島)
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