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解説:ここで温泉というのは、有馬や熱海などの昔からある温泉場ではない。それでは″開化″と結びつかないだろう。新しい温泉は、1873(明治6)年ころから東京市中に出現したもので、多くの座敷を設け、料理や茶菓を売ったという(石井研堂『明治事物起原』)。状況からみても目的は入湯だけとは考えられず、当然ながらコマ絵にあるように若い女性が介在したのであろう。2~3年で急増したが、取り締まりもあって数年で消滅したという。この時期に温泉が流行したのは、維新前後に従来の温泉の水質分析が進んで、含有成分と治癒効率の高い疾病との関係が明らかになったことがあったと考えられる。市内で開業した温泉が、ヨジーム湯・カルルス湯・アルカリー湯などと称していたのは、これを利用したものであろう。ただし、実態は湯の花を混入した程度で、厳密な意味の温泉でなかったことはいうまでもない。 温泉と組み合わせた小栗判官は、中世末の説経節からの主人公で歌舞伎にも類似の作品が多い。No.421に登場する照手姫への強引な求愛がもとで毒殺されるが、熊野の湯の峯温泉を浴びて冥界から復活することになっており、これを流行の市中温泉と結びつけたのである。 No.400参照。
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