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解説:帽子という語は日本にあったが、紫帽子のように前髪だけを覆う小布であったり、綿帽子のようにすっぽりとかぶる頭巾(ずきん)であったりで、頭上にのせる形は烏帽子と別名で呼ばれていた。開化期に西欧の風俗として帽子がはいってくると、まずはフランス語から″しゃっぽ″の外来語を使用した。明治初年には″しゃっぽ″と並んで英語の″キャップ″も使われたが、しゃっぽの方が優勢であった。 しゃっぽと同じ使い方といえば、前記の烏帽子か、武具の兜である。兜といえば通常は男が使用するが、本図は女性の八重垣姫を選んだ。何よりも登場する劇の題名が『本朝廿四孝』で、この揃物の題名と関連するのが好条件である。八重垣姫が手にするのは、諏訪法性(ほっしょう)の兜といい、諏訪大社の神使である狐の霊力に守られて許婚(いいなずけ)の武田勝頼に身の危険を報らせに行く場面である。すでに狐の霊がのり移った八重垣姫の左手は、指先を曲げた狐手になっている。この揃物では、題名の下に掲げた開化の事物をコマ絵に描いているが、本図にはしゃっぽの絵はなく、代わりに勝頼の画像を挿入している。八重垣姫が登場する十種香の場で、この画像が重要な役割を果たすので、本図に限りコマ絵は主題よりも歌舞伎の方に向いてしまっている。なお、本図にも揃物としての番号がない。 No.400参照。
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