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解説:歳徳神(としとくしん)は、年神(としがみ)などともよばれて、正月に現われて1年間の安穏豊作を守るとされる民俗的な神様。一方、有卦(うけ)は、陰陽道の占法によって算出される万事に吉となる年令のことである。従って、歳徳神と有卦には直接の関係はない。本図には、このほかにも、福神としての福助、縁起物の二股大根、金塊の分銅、日本一の富士山など、めでたいものが描かれているが、有卦入りの人は″ふ″の字のつくものを7種そろえるという俗信に基づいている。 本図は、慶応3(1867)年2月7日卯時から有卦に入る年廻りの、3才から108才までの年令を知らせるもので、仮名暦にも17世紀末の貞亨ごろから有卦入りの年令を表示したという。本図の場合は年初に近い2月7日ということで、歳徳神を描いた有卦入り暦を作画したものであろう。なお、この歳徳神は弁財天風に描かれているが、男性の素描風のものがあったりして、歳徳神像に定形はない。 しかし、本図は成立年代に疑問がある。図には、有卦入りの時刻を、慶応3(1867)年2月7日卯刻としているが、本図に彫印された極印は元治元(1864)年十月と解読できる。慶応の改元は元治2年4月7日であり、極印の時点で慶応の年号を予測することはできない。従って、この極印は本図には適応しない。逆に、元治元年10月を基準にすると、同年11月3日子刻が火性の人の有卦入り時刻となり、前月の10月に本図のような有卦入り暦が発行される可能性は十分にある。これらのことから、本図は、元治元年10月版の絵の部分を利用して必要な部分を象嵌などで補って版行したものと推定される。具体的には、年月日および時刻と、″火性″を″金性″に、″午年″を″酉年″に変更するため、″金″″酉″の文字と、上部の年令だけを改訂したことになる。従って、正確な発行年月は不明となるが、有卦入りより1ヶ月以前の慶応3年1月ごろであろうか。(原島)
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